精選版 日本国語大辞典 「ラザフォード」の意味・読み・例文・類語
ラザフォード
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ニュージーランド生まれのイギリスの物理学者.地元ネルソン・カレッジに学んだのち,奨学金を得て1895年イギリスに留学.ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で,最初の海外研究生としてJ.J. Thomsonの指導を受けた.1898年マギル大学の物理学教授に採用され,カナダのモントリオールに移住.1906年マンチェスター大学教授としてふたたびイギリスに移り,1919年にはThomsonの後任としてケンブリッジ大学教授兼キャベンディッシュ研究所所長になった.1931年貴族の称号を贈られ,Rutherford卿として上院議員に加わった.かれの最初の独創的な研究は,鉄の磁化に関するもので,かれはそれを微弱な高周波電磁波の検出に応用した.その実験手腕が買われ,Thomsonのもとでは気体の電気伝導の研究に加わった.その手法は,さらにウラン放射線による気体の電気伝導性の研究に活かされ,ウランの放射線がα線とβ線というまったく異なる二つの放射線を含むことを明らかにした.マギル大学では若い化学者F. Soddy(ソディ)と共同研究を行うことで,ウランの放射能崩壊による物質の同定を行い,ウラン原子の放射能崩壊系列を明らかにする仕事につながった.またイギリスに戻ったかれは,α線の散乱実験から,有名な有核原子模型を提出して原子構造研究への道をひらいた.1917年にはα線の照射によって,窒素原子が陽子を放出して酸素原子に崩壊することを示し,人工元素転換への端緒となった.また,ナチスドイツによってユダヤ人科学者の迫害が実行されると,科学者救援会議の議長としてその救済に立ち向かうなど,1937年に亡くなるまで社会的活動に積極的に加わり発言した.1908年放射性崩壊の研究でノーベル化学賞を受賞したのをはじめ,海外から多くの科学の賞を受けた.
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1871~1937
イギリスの物理学者。原子物理学の開拓者。放射性物質を研究して原子崩壊説を唱えた(1902年)。α粒子散乱の実験より原子模型を提示し,原子構造論の先駆となった(13年)。1932年人工的核分裂の実験に成功して,核エネルギーの利用の道を開いた。31年には男爵に叙された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…衝突する粒子は,陽子,中性子,π中間子,電子,光子などの素粒子である場合と,重陽子(重水素の原子核),α粒子(ヘリウム4の原子核),またはもっと重い原子核などの場合とがある。
[核反応の発見と研究の発展]
核反応の研究は,1919年E.ラザフォードが,ラジウムから出たα粒子を窒素の原子核にあてると,陽子が放出されるとともに酸素の原子核が生ずることを発見したときから始まる。α粒子と窒素核が陽子と酸素核に変わったのである。…
…これに対し同年,長岡半太郎は,電子が正電荷の外で土星の輪のようになって回っているという原子模型を提出した。その後11年,E.ラザフォードは,α線が金属箔で散乱される際に非常に大きく方向の変わるものがあることに注目した。α粒子が原子の中に入ったとき,電子は軽いのでα粒子に飛ばされ,したがってα粒子は電子によってはほとんど曲げられない。…
…19世紀の末キュリー夫妻らによる放射性元素の発見から,原子の内部に電子以外のものが存在するのではないかと考えられ始めたが,それが原子の大きさに比べてはるかに小さく,しかも原子の質量の大部分を担うことがわかったのは20世紀に入ってからである。1910年ころE.ラザフォードは,H.ガイガーらが行った金属箔による放射性元素からのα粒子(ヘリウムの原子核42He)の散乱実験において,まれにではあるが非常に大きな角度でα粒子が散乱されることから,これを説明するためには正電荷と質量とが原子の中心に集中していなければならないことを示した。原子核は最初A個の陽子とN個の電子とから構成されると考えられたが,これには,電子のように軽い粒子を小さな領域に閉じ込めるのは困難であること,知られていた原子核のスピンがこの模型では説明できないことなどの難点があった。…
…キュリー夫妻(M.キュリー,P.キュリー)はこのベクレルの実験結果を徹底的に調べ,ウランが出している放射線はウランに固有のものであり,また,ウラン以外にも同じように放射線を出す元素があることを発見(1898),放射線を出す性質や能力を放射能とよび,放射能をもつ元素を放射性元素とよんだ。次いでE.ラザフォードは,ウランから放出される放射線のなかに,正の電荷と負の電荷をもつ放射線があることに気がつき,それぞれ,α線とβ線と名づけた。さらに,電荷をまったくもたない放射線もあることが発見され,γ線と命名された。…
…これらの放射線は親核の寿命のためにしだいに減衰していくのが特徴であるが,これに対し,原子炉での核分裂や,加速器ビームによる核反応の際には,反応と同時に多くの中性子線やγ線が発生する。 放射線は,1896年,フランスのA.H.ベクレルが,ウランから放出されるのを発見したのが最初で,これに引き続いてM.キュリーらによってラジウム,ポロニウムからも同様の放射線が出ていることが明らかにされ,99年にはE.ラザフォードが透過力の小さい放射線にα線,大きいほうにβ線の名を与えた。さらに,1900年,フランスのP.ビラールは,磁場によって曲げられず,非常に透過力の強い第3の放射線が存在することを発見し,この放射線はγ線と呼ばれた。…
※「ラザフォード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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