百科事典マイペディア 「ラテラノ公会議」の意味・わかりやすい解説
ラテラノ公会議【ラテラノこうかいぎ】
→関連項目アレクサンデル[3世]|ゲットー|ユダヤ人
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… 910年クリュニー修道会の後ろだてに依頼されて,教皇は中世修道院改革の強力な支点となり,13世紀には新修道会をめぐる論議から,修道会承認権を行使するようになった。外部干渉からの教皇権独立の動きは,レオ9世(在位1049‐54)に始まり,グレゴリウス7世(在位1073‐85)の宣言《ディクタトゥス・パパエ》(1075)を経て,第3ラテラノ公会議(1179)の教皇選挙新令により制度的に確立された。14世紀のアビニョン捕囚と対立教皇間の大分裂(1378‐1417)は,教皇権への信用を失墜させたが,その解消に一役を買った公会議至上主義は,フェラーラ・フィレンツェ公会議(1438‐45)により破棄された。…
…だがこれらはいずれも強制的なものではなく,またこれに伴う制限措置もなかった。第1回十字軍遠征(1096)後,キリスト教会は第3および第4ラテラノ公会議(1179,1215)で,キリスト教徒とユダヤ教徒との交際,またユダヤ教徒がキリスト教徒を従者とすることなどを禁止した。教会のこのような決定がヨーロッパのあらゆる地域で直ちに実行に移されたわけではなかったが,まずドイツで,13世紀後半以降しだいにユダヤ教徒の強制隔離が実施されていった。…
…初代教会では公的な告解も行われたが,後に司祭にたいして個人的になされる秘密告解が一般的慣行となった。第4ラテラノ公会議(1215)以来,年1回の告解がすべての信徒にとって最小限の責務とされており,また告解の秘密は不可侵であることが教会法によって規定されている。【稲垣 良典】。…
…質【斉藤 博】
[ヨーロッパの質屋]
西ヨーロッパにおける職業としての質屋の起源は中世にあり,徴利禁止法の適用を受けなかったユダヤ人を中心とする私的なもの,都市当局などの公的機関が救貧活動の一環として行ったもの,教会が主体となったものの三つの系譜が認められる。のちに質屋の看板として一般化する金色の三つ球は,イタリアのロンバルディア出身のユダヤ人の質屋が用いはじめたものであり,徴利行為に対する厳しい批判をうちだした1179年の第3ラテラノ公会議以後,ユダヤ人と質屋ないし高利貸のイメージとが重なりあっていったことを示している。ヨーロッパ各地の都市に成立したこの種の質屋では,年間20~100%以上という高率の利息を取ったこと,客筋が庶民というより,国王や貴族などの支配階級を主体としていたことなどが特徴であった。…
…歩兵は二次的な兵力とされたが,12世紀に発明された弩(いしゆみ)crossbowはもっぱら彼らの操作するところであった。これは当時もっとも殺傷効果の高い武器で,ラテラノ公会議(1139)はキリスト教徒に対する使用を禁じている。 テルトゥリアヌスやオリゲネスら初期の教父は全面的に戦争を否定したが,キリスト教が国家社会全体に受容され世俗権力の責任を強調する過程で,個人的暴力と適法の戦争を区別する方向に向かう。…
…当時,民衆の間に広まった〈受難劇〉は反ユダヤ感情を培養した。この傾向は,1215年のラテラノ公会議でのユダヤ教徒識別のマーク(バッジ,帽子など)の着用命令によって決定づけられた。ユダヤ教徒バッジは,ユダヤ教徒は尾や角,特有のにおい,すなわち悪魔の特徴を備えて肉体的にも異なったものだという伝説を広めるのに役だった。…
… このような姿勢が大きな変化をみせるにいたったのは,ヨーロッパ社会にキリスト教の原理が深く浸透し,社会生活のあらゆる分野を規定するようになると同時に,対外的にはイベリア半島でイスラム教徒と宗教の大義をかざして対決を深めるとともに,十字軍遠征により宗教的熱狂があおりたてられるようになった時期とほぼ一致している。すなわち12世紀末から13世紀初頭にかけて教会は,ラテラノ公会議で2度(第3回1179,第4回1215)にわたって,ユダヤ教徒によるキリスト教徒への影響を排除するために両者が親しい交わりをもつこと,またユダヤ教徒がキリスト教徒に対しなんらかの支配を及ぼすことを厳重に禁止したのである。これにより,ユダヤ教徒はキリスト教徒を告発したり,不利な証言をしたりすることができなくなり,キリスト教徒を食事に招待し,またこれと結婚することも許されず,キリスト教徒を農奴その他として雇用することも不可能となった。…
※「ラテラノ公会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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