基本情報
正式名称=ラトビア共和国Latvijas Republika/Republic of Latvia
面積=6万4559km2
人口(2010)=224万人
首都=リガRiga(日本との時差=-7時間)
主要言語=ラトビア語(公用語),ロシア語
通貨=ラッツLats
ヨーロッパ北部に位置する共和国。1920年にラトビア人が建国したバルト海東岸の共和国で沿バルトPribaltika三国の一つ。40年ソ連邦に併合されたが,91年再び独立した。北はエストニア,東はロシア,南東はベラルーシ(白ロシア),南はリトアニアの各共和国に接する。西はバルト海とリガ湾に臨み,国章にも海が描かれている。おもな言語はラトビア語とロシア語。
平たんな国土を氷河堆積物が厚くおおい,ところにより200m前後のモレーンの丘陵が続く。〈リボニアのスイス〉とよばれる東部丘陵地帯には大小の湖がある。中央ビゼム丘陵(最高点311m)と南東部のラトガレ丘陵の間の東ラトビア平地はじめ,各地に沼沢地が多く,干拓が進められている。土壌は一般にポドゾル性で,丘陵の高地では浸食が進んでいる。古代からの東ヨーロッパ平原北西部の交易路である西ドビナ川(ダウガバ川)がリガ湾へ,西部のクルゼム高地を東西に分けるベンタ川がバルト海に注ぐ。バルト海岸は古くからコハクの採取地として知られ,またいたるところに広がる砂浜が現在は保養地として利用されている。大西洋気団の影響を受けて,比較的湿潤であり,年間平均降水量が地方により550~800mm,平均気温が7月に16~18℃,1月に-2℃(海岸部)~-7℃(内陸部)である。緑地面積が半ば近くを占めて〈緑の土地〉とよばれ,国土の38%を覆う森林は針葉樹が主であるが,落葉樹も多い。国立公園ガウヤをはじめ九つの保護区域があり,シカ,ヘラジカ,ビーバーなどは生息数が増加している。
1989年の人口調査では総人口の51.8%がラトビア人であるが,1959年にはその比率は62%,1935年には75%であった。ラトビア人人口の比率の低下は,ラトビア人人口の自然増加率の低いこととロシア人の移住の増加がその原因で,ロシア人は89年には33.8%(1959年には26.6%)を占めている。ほかに白ロシア人が4.5%,ウクライナ人が3.4%,ポーランド人が2.3%,その他4.2%である。都市人口は1983年に70%を占めるが,ロシア人の8割以上が都市に住むのに対し,ラトビア人は約5割である。住民の宗教は現在は不明であるが,1935年にはルター派68%,カトリック26%であった。
現在のラトビアの地は13世紀にドイツ人が征服・命名した広義のリボニアの南半(1561年以後は狭義のリボニアの中・南部とクールランド)に当たり,リボニア連盟,リトアニア・ポーランド,スウェーデンの統治を経て,18世紀の北方戦争とポーランド分割でロシア領となった。支配民族は13世紀以来ドイツ人で,ラトビア人は彼らの農奴になったが,1817-19年ロシア本国に先立って行われた農奴解放で資本主義の発展も早く,ラトビア人の労働者,資本家,知識人が発生した。54年にドルパート大学(現,タルトゥ大学)のラトビア人学生の組織した〈青年ラトビア〉運動以来,啓蒙・教育活動が活発化し,民謡の収集も行われ,民族意識が高まった。
第1次世界大戦中のドイツ軍による占領とラトビア人部隊の活躍,ロシア革命の波及と1918年末のソビエト権力宣言,赤軍とドイツ人義勇軍や連合国との戦いなどを経て,20年にはウルマニスKārlis Ulmanis(1877-1942)政権下に独立共和国が生まれた。ドイツ人は土地改革などの民族政府のドイツ人排除政策のためしだいに引き揚げたが,ドイツ文化の影響は都市の景観などとともに永く残った。22年民主憲法が採択され,イギリスの援助もあったが,大きな戦禍とロシア市場との一時的断絶のため経済の再建は困難で,34年ウルマニスが全体主義体制をとり,39年ドイツと不可侵条約を結んだ。第2次世界大戦開始後,ソ連の圧力が強まった40年夏に連邦に加入した。独ソ戦ではドイツ軍に占領されたが,45年解放された。この過程では住民多数の虐殺,亡命,強制移住がともなった。
80年代後半になってラトビアの独自性を主張する運動が高まり,90年5月ラトビア最高会議は独立宣言を採択した。連邦政府はこれを認めなかったが,91年8月に起こった連邦政府保守派によるクーデタ失敗で情勢は急変し,独立が承認された。
独立前から沿バルト随一の工業都市リガを擁したラトビアも,独立期には工業の発展が停滞したが,戦後復興後の工業化のテンポは速く,労働生産性と製品の質の点でもソ連邦では評価が高く,1人当りの国民所得はエストニアに次いでいる。1981年の工業生産高はソ連邦加入時の46倍で,この間にダウガフピルスなどの新たな産業都市が生まれた。この国は泥炭のほかみるべきエネルギー資源を欠いていたが,西ドビナ川の水力発電開発に加えて,石油・天然ガスを他共和国から供給され,現在は西シベリアの天然ガスも導入されて,エネルギー消費量が急増している。おもな工業は電気・電子工業,金属加工,化学工業で,車両,機関車,電車,ディーゼル車,発電機,冷凍設備などを,民需用のスクーター,ラジオ,冷蔵庫,化学繊維,靴,靴下などとともに大量に他共和国に供給しているが,銑鉄,普通乗用車などは逆に移入している。
農業集団化は1947-50年農民の抵抗を排除して強行され,生産は一時激減した。82年末に319のコルホーズ(11の漁業組合を含む)と244のソホーズがあり,政策的に酪農と食肉生産に力が入れられ,食品加工も盛んであるが,生産量は近年停滞ぎみである。
すでにロシア帝国内で普通教育がよく普及していたラトビアは,現在,高等教育の普及度をエストニアと競っている。初等教育ではロシア語使用校と併用校がふえ,ラトビア語使用校でもロシア語学習は義務制である。ラトビア国立大学(10学部)はじめ高等教育機関は10あり,1980年に4万6300人の学生が在学している。ラトビア語とロシア語の出版所があり,新聞・雑誌も両国語で発行され,図書・小冊子の出版点数は1965年の1920点が79年に2339点になったが,ラトビア語出版物の点数は相対的に減っている。
民族意識の表現として1873年に始まった歌唱祭が国民的人気を得ており,5年ごとに地方予選を通った合唱団,管弦楽団,舞踊団がリガで競演する。また伝統的な〈洗礼者ヨハネの祝日〉が,1960年の政府の禁止後も守られている。81-82年のポーランドの〈連帯〉運動の影響も一部で報ぜられたが,詳細は不明。
執筆者:鳥山 成人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(袴田茂樹 青山学院大学教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…詩人クパーラ,コーラスYakub Kolas(1882‐1956)がその代表的作家である。
[バルト3国の文学]
北のエストニアは言語がウラル語族のフィン語派に属し,ラトビア,リトアニアはともにインド・ヨーロッパ語族のバルト語派に属するが,歴史的・文化的には,エストニア,ラトビアの両国に共通点が多い。この両国は北欧諸国,ドイツ騎士修道会に領有されドイツ的影響を強く受け,18世紀のピョートル1世時代にロシアに併合されたが,1816‐19年にいち早く農奴解放が行われ,ロマン主義時代には近代文学の基が築かれた。…
※「ラトビア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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