アメリカで生まれ、イギリス、ドイツで活躍した物理学者、政治家。本名ベンジャミン・トンプソン。マサチューセッツ州に生まれる。少年時代から自然科学を独学、10代後半には熱に関心をもち、研究をした。1775年独立戦争が勃発(ぼっぱつ)、彼はイギリス側についたが、1776年イギリスに亡命。
イギリスでは植民地省に勤めながら、火薬の爆発力、海上信号法、兵器改良などの実験、研究を進め、王立協会会員に選ばれ、1781年には協会の機関誌に火薬についての実験報告をした。1784年からはバイエルン選帝侯の下で軍務大臣・内務大臣を務め、軍隊の改組やさまざまな社会的問題の改良に努め、1793年伯爵に叙せられ、ランフォード伯を名のった。1798年イギリスに戻ってロンドンに住み、二つの大きな仕事に取り組んだ。その一つは、熱の物質説否定の決定的根拠と彼が考えた大砲の中ぐり実験の報告(1798)であり、もう一つは、科学の産業と生活への普及と応用を目的とした王立研究所(ロイヤル・インスティチューション)の設立(1799)である。前者はバイエルン時代に大砲の中ぐり作業の監督中に着想し、実験によって熱の本性を運動とみなし、熱の仕事当量まで計算した。後者は友人のバンクスJoseph Banks(1743―1820)とともに計画、公開講義は2代目化学教授デービーとその助手から始まり、ファラデーの名講義は評判をよんだ。ランフォードは1804年イギリスを去り、パリで生涯を終えた。
[高山 進]
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…また石材(花コウ岩)の加工地としても知られている。1727年に定住が始まり,33年にランフォードという名称で町となり,65年にコンコードと改称した。1808年に州都となり,53年市制を施行。…
… 18世紀の終りにはもう一つ重要な実験が行われた。砲身をくり抜くとき大量の熱が発生するのに驚いたランフォード伯(B.トンプソン)は,先を丸めたドリルを使い,水の中に入れた砲身にあてて回転させることにより,消費された仕事と発生した熱量との関係を調べたのである。彼は摩擦によって際限なく熱を発生できるのであるから,熱は運動に違いないと考えた。…
※「ランフォード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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