弦楽器の一種。リュート属楽器といえば広義には棹(さお)と共鳴胴をもち,弦を指ではじくことによって音を出すすべての楽器が包括される。それらの中で,棹が長い三味線型の楽器を〈長いリュート属〉,棹が短めの琵琶型の楽器を〈短いリュート属〉として大別することができる。狭義のリュート属楽器は,この後者の一部である。狭義のリュート属楽器は,側面板をもたず,裏面(背面)は丸く隆起した形をとるものである。〈セイヨウナシを縦二つ割りにした形〉とも表現されるこの共鳴胴の形が,狭義のリュート属を決定する特色である。
その祖型は前8世紀ころ中近東に誕生したと考えられ,後1世紀には北西インドにもこの種の楽器の存在したことが,残されたレリーフから知られる。漢代から中国に知られたピパ(琵琶),そして日本の琵琶は,疑いなく,その直系の子孫であると考えられる。一方,中近東に生まれたリュートの祖型は,やがてペルシアにおいてとくに盛んになり,バルバットbarbatと呼ばれる楽器へと発達した。古代の末期から中世初期,ササン朝時代に好んで用いられたこの楽器はやがてアラブに伝わり,そこではウードと呼ばれた。711年,イベリア半島に侵攻してここを支配したイスラム教徒は,ウードを携えて行った。9世紀には偉大な歌手でウードの名人ジルヤーブがスペインに渡った。一方,9世紀にはイスラム教徒が直接イタリアに侵攻してその文化を持ち込んでいるし,10~11世紀には十字軍が東方から楽器を含むさまざまな品物を持ち帰っている。ウードがヨーロッパのリュートの直接の先祖であることは,諸国におけるこの楽器の名称luth(フランス語),Laute(ドイツ語),liuto(イタリア語),laúd(スペイン語)などが,すべてウードに冠詞をつけた形al-ūdに由来する事実からも明らかであろう。
リュートは11~12世紀以降ヨーロッパ諸国に普及し,宮廷楽器として重んじられた。初期のヨーロッパ・リュートは14世紀に至るまで単弦4コース(すなわち弦数4本)が普通で,プレクトラムを使って奏されていた。調弦法は当初アラビアから伝来の4度調弦(各弦間の音程が完全4度)だったと思われるが,しだいに中の1ヵ所に長3度を置くようになった(たとえば上から1点ニ・イ・ヘ・ハ)。ヨーロッパ的な和音の感覚から生じたものと思われる。
14世紀ころからリュートはプレクトラムを使わず直接手指を触れて弾弦されるようになり,これによって多声的な楽曲を演奏できることとなった。また,おそらく音量上の必要から,単弦でなく複弦をとることが普及した。この場合,旋律を弾くことが多い第1弦(最高弦)のみは単弦のまま残す習慣ができた。ヨーロッパのリュートの糸倉(頭部)は急角度に後方へ折れ曲がっているが,これは複弦を張るようになってから,弦の張力に対抗するものとして行われ始めたことであろう。リュートのための楽曲が初めて印刷されたのは16世紀初頭のイタリア,次いでドイツ,フランスである。イタリアからは当時随一の名手といわれたフランチェスコ・ダ・ミラノFrancesco da Milano(1497-1543)が出ている。フランドル,ハンガリー,ポーランド,イギリスなどにもリュートとその音楽は迎えられた(リュートに縁が深いはずのスペインでは,ギターの一種であるビウエラがもっぱら優勢であったため,リュートはほとんど顧みられなかった)。イギリスでは16世紀末から17世紀初頭にかけてリュートの黄金時代が訪れ,歌曲の作家としても著名なJ.ダウランドをはじめ,いく人もの名手,作曲家が輩出した。このように,リュートは16世紀いっぱいから17世紀の初めころまでヨーロッパの宮廷にもてはやされ,アラブ社会におけるウードと同様〈楽器の王(あるいは女王)〉とまで呼ばれたが,この時代に普及したタイプの楽器を今日〈ルネサンス・リュート〉と呼んでいる。この型のリュートは図1のような調弦法を標準とし,基本となる6弦以外に設けられる低音域の補助弦(番外弦)の数は通常1~2コース,多くて3~4コースであった。
17世紀の半ばころになるとヨーロッパ諸国のリュートは,一方では高い性能をもつ楽器ハープシコードの発達,他方ではより手軽な姉妹楽器ギターの普及などにより,しだいに人気が衰えていく。しかし,フランスでは17世紀中葉から後半にかけても専門リュート奏者兼作曲家の一派が高水準を保ちつづけ,その中で新しいレパートリーや,調弦法が形づくられた。17世紀末から18世紀前半にかけて,フランス派(パリ・リュート楽派ともいう)の流儀はドイツにも伝わっていった。ドイツでは17世紀に入っていったんはリュートの伝統がとだえていたが,フランス派からの刺激によって興味が復活したとみられる。ドイツにおけるリュートの復興期はちょうど大音楽家J.S.バッハの時代にあたっており,彼もこの楽器に引かれて,何曲かの価値高いリュート曲を後世に残している。J.S.バッハの知遇を受けたワイスSylvius Leopold Weiss(1686-1750)も,リュート音楽後期の名匠である。17~18世紀に用いられたリュートは,先のルネサンス・リュートに比べて低音を補強する番外弦の数がはるかに多くなり,全体で13コース24弦(上の2本が単弦),14コース26弦(同上)といった楽器も用いられた。また,標準的な調弦法としては,俗に〈ニ短調調弦〉と呼ばれるもの(図2)が行われた。こうした特色をもつ17~18世紀のタイプを,今日〈バロック・リュート〉と呼んでいる。またバロック時代には主として低音用の,弦数が多いリュートの変種もいくつか現れた。テオルボtheorboやキタローネchitarroneはその代表的なものである。
リュートとその音楽が姿を消した原因は,すでに触れたような他の楽器の発達であるが,さらにいえば,この楽器のもついくつかの欠点にある。欠点とは,音量の乏しさ,弦が増加したために起こった調弦のわずらわしさ,木材を加工して作る手数(薄板を湾曲させ精巧に貼り合わせる)のため高価につくこと,そして弦を示す横線を用いたタブラチュアが引き起こす特殊な難しさの印象などである。しかし,リュート独特の上品な哀愁を帯びた優雅な音色(ちなみに弦はかつては羊腸,いまは多くナイロンを用いる),かつて栄えた約250年間にわたる価値高いレパートリーの魅力は,現代に至って見直され,全般的な古楽復興の波に乗って,新たな光を当てられるようになった。20世紀におけるリュート復興の功労者ゲルビッヒWalter Gerwig(1899-1966),ギターの名手でもあるブリームJulian Bream(1933- )のほか,現在ではいく人ものリュート奏者が活躍している。
以上ヨーロッパ芸術音楽におけるリュートについて記したが,バルバットからウードの系統を引く楽器は,中近東をはじめ,東欧,アフリカなどで,今日も民族楽器としての盛んな生命を保っている。ルーマニアのコブザcobza,ギリシアのラウトlautoなどが例に挙げられる。
執筆者:浜田 滋郎
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中世からルネサンス、バロック時代にかけてヨーロッパで非常に愛好された撥弦(はつげん)楽器。卵を縦に割ったような形で、50センチメートルくらいの長さの胴、幅が広く短い棹(さお)、後方にほとんど直角に曲がった糸蔵(いとぐら)(糸巻のつけられた部分)が特徴的である。胴の裏板は、細長い板を横に何枚もつなぐことで曲面をつくっている。表板の上寄りに透(すかし)彫りの響孔が、表板上の下方に糸留めがあり、駒(こま)は用いない。棹には7~10か所に弦を巻き、フレットにする。弦はガット製で、16世紀の楽器で複弦6コースだが、最高音弦だけは旋律の演奏のために単弦である。調弦は演奏する音楽にあわせて考えられ、時代による違いもあるが、標準的な調弦としては、いちおうG2―C3―F3―A3―D4―G4があげられ、低いほうの2、3コースは1オクターブ間隔とすることが普通であった。音域や大きさの異なるリュートもあり、調弦も異なる。演奏には、中世ではプレクトラム(爪(つめ))が用いられたが、16世紀には直接指ではじく奏法が確立していた。
リュート音楽の現存する最古の楽譜は、1507年にイタリアで出版された曲集で、続いて他の諸国でも、声楽の編曲や舞曲を中心に、独奏や重奏、歌とリュートのための曲集が数多く出版された。その楽譜には、五線譜ではなく、リュートの各コースに対応した線を引き、はじく弦と押さえるフレットを指示したタブラチュアとよばれる記譜法が使われた。タブラチュアは、18世紀初めまで、リュート以外の撥弦楽器用にも用いられた。11~12世紀以降、ヨーロッパ諸国に普及し、宮廷楽器として「楽器の王(女王)」とまで称されるようになったリュートも、17世紀ごろからしだいに人気を失っていく。イタリアでは、17世紀初めからリュートよりも低いほうに音域が広いテオルボやキタローネに中心が移っていき、他の地域でも17世紀なかばには衰退に向かう。一方、ドイツでは比較的長く存続し、J・S・バッハはリュートのための作品を残している。
[前川陽郁]
C・ザックスの楽器分類法では、撥弦、擦弦を問わず、棹と胴からなる弦鳴楽器を「リュート」とし、弦鳴楽器をチター、リュート、リラ、ハープの4種に大きく分けている。一方、ホルンボステル‐ザックスの分類では、共鳴胴が単なる付加物ではなく、弦と共鳴胴が有機的に結び付けられているものを複合弦鳴楽器とし、単純弦鳴楽器(チター)と区別している。ここでは「リュート」は前者の下位分類になる。
C・ザックスの分類法におけるリュート属には、バイオリン、ギター、三味線、胡弓(こきゅう)などが含まれるが、古くは紀元前2000年ごろのメソポタミア、前1500年ごろのエジプトに現れるほか、ギリシアでも用いられた。ヨーロッパのリュートのように棹が胴より短いタイプの祖型は、前8世紀のペルシアに誕生したと考えられ、紀元後1世紀にはインドにも認められた。これが中国や日本に伝えられ、琵琶(びわ)となる。一方、この祖型はアラブにも伝わり、ウードとよばれ、13世紀にはアラビア系の移民によってヨーロッパへもたらされた。「リュート」の名も、アラビア語で木を意味するウード'Ūdに由来する。
[前川陽郁]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…音楽学者ファーラービーはじめ音楽家,理論家たちは著書の中で,音組織の実験の土台としてウードをもちいている。なお,ウードは十字軍とともに,またスペインを経て中世ヨーロッパに入り,リュートの祖となった。リュートという名は,アラビア語の冠詞alをつけたウード,al‐‘ūdに由来するものである。…
…さらに金属を用いるようになると,鐘やチター系弦楽器が現れる。さらにハープ系弦楽器は前3000年代に,両面太鼓は前2000年代に,シンバルやリュート系弦楽器,金属製のらっぱなどは前1000年以後に現れたといわれる。紀元後に初めて現れたものには,笙,銅鑼(ゴング),弓奏弦楽器などがあるとされる。…
※「リュート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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