精選版 日本国語大辞典 「リヨン」の意味・読み・例文・類語
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フランス中東部、リヨネ地方の中心都市で、ローヌ県の県都。パリ南東462キロメートル、ローヌ川とその支流ソーヌ川との合流点に位置する。人口44万5452(1999)、51万3275(2015センサス)は、首都パリ、マルセイユに次いで同国第3位。また周辺に隣接するビルルバンヌVilleurbanneやベニシューVénissieuxなどの諸都市と連接して大都市圏を形成する。行政諸官庁の所在地であるほか、裁判所、大学や各種専門学校などの高等教育機関も置かれ、軍団管区、大司教も所在し、リヨネ地方の行政、司法、教育、軍事、宗教上の中心地となっている。また銀行などの金融機関が多く、株式取引所もあり、毎年4月に国際見本市も開かれるなど、商業も活発である。さらに同国屈指の工業都市で、郊外を中心に機械・金属、自動車、電子工業、石油精製、化学、織物などの諸工業が立地し、とりわけ18世紀に発達した絹織物工業は有名である。
1801年には人口10万余りであったが、19世紀に急増し、第一次世界大戦前には50万近くに達した。しかし、市域が50平方キロメートルと狭く、大部分が都市化したため人口は停滞した。逆に、郊外の人口は1914年の15万余りから激増し、とくにローヌ川の東側に市街地が広がった。リヨンの古代からの繁栄はその地理的位置によるところ大で、ソーヌ、ローヌ両河川の合流部にある比高100メートルのフルビエールの丘は、地中海と北西ヨーロッパとの中継基地の防御地点として役だった。リヨンの都市圏は、地下鉄の実現と、鉄道、高速道路、航空路、河川交通による各地との連絡の容易さによって発展した。
市内には歴史的記念物、建造物が数多く存在する。野外劇場などローマの遺跡がフルビエールの丘に残り、ガリア・ローマ文明博物館が設置されている。丘上にはフルビエール・ノートル・ダム寺院(19世紀)がそびえ立つ。丘とソーヌ川との間にある旧リヨン地区の町並みは美しく、ゴシックやルネサンス様式の建物が数多く残り、リヨン歴史博物館、マリオネット博物館、ロマネスクとゴシックのサン・ジャン大聖堂(12~15世紀)などがある。ソーヌ川とローヌ川の間には、テロー広場周辺にバルトルディの泉、市役所、美術館などがある。ほかに、ロマネスクのサン・マルタン・デネ・バシリカ、15世紀のサン・ニジェ教会、サン・ボナバンチュール教会、織物歴史博物館、装飾芸術博物館、ギメ美術館などがある。
[大嶽幸彦]
紀元前1世紀なかばローマ人がこの地に植民市を建設し、当時ルグドゥヌムLugdunumとよばれた。交通上の要衝にあり、商業都市として、またガリアを治める行政都市として栄えた。紀元後2世紀末、皇帝セプティミウス・セウェルスは敵対者アルビヌスDecimus Clodius Albinus(150?―197)に味方したことを理由にリヨンを破壊し、以後衰退したが、カロリング朝のもとで司教座都市として活気を取り戻した。1032年に神聖ローマ帝国領になったが、事実上は大司教の治政下にあった。13世紀には絹織物業が盛んになり、それとともにブルジョアジーはフランス国王の支援を得ながら教会勢力と対抗するほどに力を増した。1312年フランス王領となる。15世紀なかば国王から市場開催の特権を得、ヨーロッパ各地から人が集まる国際的経済都市となった。ルネサンス時代のユマニストもこの地で活動した。
宗教改革運動も活発で、宗教戦争の時期にはカトリックとプロテスタントの対立がすさまじく、都市は荒廃した。フランス革命期には、パリの国民公会に抗してジロンド派、王党派の牙城(がじょう)となり、これを制圧したフーシェは恐怖政治を敷いた。政治的流血は19世紀にも起こった。17世紀以降、絹織物業はいっそう発展を遂げ、19世紀前半にはリヨンはヨーロッパ最大の絹織物業都市となった。絹織工は、劣悪な労働条件と共和主義思想の普及を背景にして、1831年と1834年の二度にわたって大規模な反乱を起こした。反乱は政府によって制圧されたが、織物業はこれを機に市外に逃れるようになった。19世紀なかば以降、蚕病の流行と中国や日本の躍進によって絹工業は後退を余儀なくされたが、周辺に化学や機械などの工業地帯を抱えながら、国際生糸市場として、また金融市場として発展した。政治的にはリヨンは第三共和政期に急進党の地盤で、その指導者エドゥアール・エリオは市長を約50年間も続けた。第二次世界大戦中はドイツ占領下にあり、レジスタンスの拠点となった。1944年9月自由フランス軍によって解放された。
[本池 立]
さまざまな建造物が残るフルビエールの丘と旧市街は1998年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「リヨン歴史地区」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。
[編集部]
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フランスのローヌ,ソーヌ両川合流点にある都市。前43年ローマ植民市。ブルグント,ついでフランクに属し,ヴェルダン条約で西フランク王国から離れ,1032年神聖ローマ帝国に帰属した。以後,町はだいたい大司教支配に属したが,12世紀末コミューン,1312年王領に併合された。フランソワ1世以来絹織物業の中心として名高い。
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… フランスの絹織業は13世紀以降パリ,ルーアン,とくに教皇の町アビニョンなどで営まれたが,中世における絹製品はおもに小間物であった。後に〈絹の都〉とよばれるにいたったリヨンでの絹織物工業の発祥は,1466年のルイ11世によるイタリア人絹職人の同市への招致にあったが,本格的な発展の開始は1536年にフランソア1世によって原料絹,絹織物の専売権が付与されたときからである。17世紀初頭における新型の空引機(そらひきばた)=高機(イタリア人のダンゴンの発明)の獲得を機に,J.B.コルベールによる手厚い保護も加わって,リヨン機業の目覚ましい繁栄が始まった。…
※「リヨン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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