日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルコント・ド・リール」の意味・わかりやすい解説
ルコント・ド・リール
るこんとどりーる
Leconte de Lisle
(1818―1894)
フランスの詩人。本名Charles-Marie Leconte。レユニオン島に生まれる。10歳から18歳までそこで過ごしたのち、ブルターニュのレンヌの大学に入学。初めフーリエの理想にひかれ、また友人のメナールを通じて知ったヘレニズムにも関心を示しながら革命を目ざす。1846年パリに移住して『ファランジュ』『デモクラシー・パシフィック』誌に寄稿するが、48年の二月革命挫折(ざせつ)後、詩作に専念する。52年には処女詩集『古代詩集』Poèmes Antiquesで文献学、考古学のような実証科学と詩の融合を試み、不感無覚の精神と端正な形式によりギリシア的調和の美と厭世(えんせい)的虚無と死の世界観を歌った。この詩想は終生変わることなく、62年にはインド、エジプト、北欧など非ギリシア世界の神話に想を得た『夷狄(いてき)詩集』Poèmes barbaresを世に送った。やがて若い詩人たちから高踏派の師として注目され、『現代高踏詩集』(1866)にも作品を寄せた。61年から85年にかけてギリシア、ラテンの古典仏訳著を刊行し、73年にはアイスキロス『オレステイア三部作』の翻案戯曲『エリニー』が初演された。84年『悲劇詩集』を発表、没後95年には晩年の詩篇(へん)が弟子エレディアにより『最後の詩集』としてまとめられた。アカデミー会員。
[遠山博雄]