世界大百科事典 第2版 「ルバーイヤート」の意味・わかりやすい解説
ルバーイヤート【rubā‘iyāt】
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…イランの新年(ノウルーズ)の歴史・祭祀を記した《新春の書》も彼の著作といわれる。100首から2000首まで,さまざまの説がある彼の《ルバーイヤート(四行詩集)》は,19世紀末にイギリスの詩人E.フィッツジェラルドの名訳によって全世界に知られている。日本でも明治41年(1908)蒲原有明による邦訳をはじめ,20種以上の訳詩がある。…
…繊細な感受性と洞察力をもち,サフォークの田園で静かに翻訳活動をした。その一生は友愛に満ち,ユーモラスでやさしい書簡集でも有名だが,彼の名を不朽にしたのは,11~12世紀のペルシアの詩人ウマル・ハイヤームの《ルバーイヤート》の名訳(1859)である。原詩は神秘的4行詩で,人生の無常を嘆き,美女,ワイン,詩の喜びで浮世の苦悩を忘れようとするエピキュリアン的刹那主義の長大な詩であった。…
…11世紀後半から12世紀前半にかけてのセルジューク朝支配時代にはペルシア詩は質量ともに最高潮に達し,宮廷詩人としてはムイッジーMu‘izzīをはじめ,頌詩の最高詩人アンワリーが現れた。異端イスマーイール派を信奉した神学・哲学詩人ナーシル・ホスローや,ペルシア詩の代表詩人として世界的に有名な《ルバーイヤート(四行詩集)》詩人ウマル・ハイヤームが活躍したのもこの時代である。 10世紀以来ペルシア詩人の活躍地域は保護者たる王朝の版図の関係上,中央アジアからイラン東部に限られていたが,11世紀後半からセルジューク朝の勢力拡大に伴い,ペルシア詩人の活動地域もしだいにイラン全域に広がり,とくにカスピ海西方地域アゼルバイジャン地方では,12世紀後半にホラーサーン派詩人と覇を競う優れた詩人たちが輩出し,アゼルバイジャン派詩人と呼ばれ,〈古典ホラーサーン・スタイル〉を脱して新しい〈イラク・スタイル〉を生み,ペルシア詩の発展に多大の貢献をした。…
※「ルバーイヤート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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