改訂新版 世界大百科事典 「レジスタンス文学」の意味・わかりやすい解説
レジスタンス文学 (レジスタンスぶんがく)
1940年6月のドイツ軍のフランス制覇から44年9月のフランス解放までの期間,占領下のフランスで誕生した対独抵抗の文学および文学運動を指す。
フランスをその勢力下におさめたドイツ軍は,40年秋1000点あまりの書物の出版・発売を禁止するとともに検閲を強化し,多くの文学者は沈黙を余儀なくされた。この間,ロマン,モーロア,グリーン,シュペルビエル,サン・ジョン・ペルス,ベルナノスらは北アメリカ,南アメリカに亡命し,パリの文壇はドリュ・ラ・ロシェル,セリーヌ,ブラジヤックらファシズムを支持する文学者の独壇場と化した。そして1942年国内におけるレジスタンス運動が活発化するに及び,マルロー,シャンソン,シャール,プレボー,サンテグジュペリらは地下に潜って実践活動に身を挺していく。他方,42年4月に用紙統制委員会が発足し出版統制が一段と厳格化されたため,非合法出版物の刊行が盛んとなり,〈希望と拒否の文学〉が広く読まれはじめるのである。
非合法雑誌を代表するのは〈全国作家委員会〉の機関紙としてドクールJacques Decour(1910-42),ポーランの手で42年9月創刊された《レットル・フランセーズ》であり,その他《ポエジー40》(年とともに41,42…と改称),エリュアールを中心とする《レテルネル・ルビュ》誌などがあったが,アルジェで刊行された《フォンテーヌ》誌,A.ベガンがスイスで出しはじめて50点を数えた〈カイエ・デュ・ローヌ叢書〉の果たした役割も見落としえない。また42年8月ベルコールVercors(1902-91)の《海の沈黙》の刊行により開始された,ベルコール,レスキュールPierre de Lescure(1891-1963),ポーランの〈深夜叢書〉は,アラゴン,F.モーリヤック,トリオレElsa Triolet(1896-1970),カスーJean Cassou(1897-1986),バンダ,ゲーノ,ジッドらの作品を作者を匿名として44冊世に送った。このようにして作家も出版者も一身の安全を犠牲にして活字とした作品は,いずれもドイツの抑圧への抵抗と人間の普遍的価値の擁護をそれぞれの政治的・思想的立場をこえて訴えるものであって,大革命以来のフランス精神の伝統的姿を伝え感動的である。
代表的作品としては,この時期にみごとな復権をなしとげた詩の領域で,アラゴンの《断腸詩集》《エルザの瞳》《フランスの起床ラッパ》,エリュアールの《ドイツ人と出会って》《詩と真実1942》,カスーの《ひそかに綴られた33のソネ》,ケロールJean Cayrol(1911-2005)の《夜と霧の詩篇》,小説の領域で,《海の沈黙》のほかモルガンClaude Morganの《人間のしるし》,トリオレの《アビニョンの恋人たち》,エッセーの領域で,モーリヤックの《黒い手帖》,ベルナノスの《イギリス人への手紙》,サンテグジュペリの《ある人質への手紙》,カミュの《ドイツ人の友への手紙》,ベイユの《根をもつこと》などがあげられよう。その他いちおう上演が可能だったとはいえ,戯曲としてアヌイの《アンティゴーヌ》,サルトルの《蠅》をそれらに加えてもさしつかえあるまい。
→反ファシズム →レジスタンス
執筆者:渡辺 一民
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報