ドイツの法学者。日本ではロエスレルと呼ばれてきた。バイエルンの新教徒の家庭に生まれた。1861年よりロストク大学教授。カトリックに改宗して同大学を離れ,78年日本の外務省顧問として来日(後に内閣顧問となる)。81年,プロイセン流の君権主義的憲法を採用すべきことを建言した〈岩倉具視憲法綱領〉を井上毅が起草するにあたり,決定的な影響を与えた。以後も伊藤博文,井上の助言者として憲法起草に大きく貢献した。また旧商法典(1890公布)の起草者でもある。93年帰国。初期の著作《アダム・スミス流経済理論考》(1868)などにみられるように,彼はL.vonシュタインの影響下で,資本主義の階級対立を階級中立的君主が調整するという〈社会君主制論〉を信奉していた。この思想は,日本については,天皇に強大な権力を与える形で具体化された。もっとも彼は,第1条に〈万世一系〉という神話的表現を用いることに反対し,井上と対立した。著書は《社会行政法教科書》(1872-73)など。
執筆者:長尾 龍一
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(長尾龍一)
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1834.12.18~94.12.2
ロエスレルとも。ドイツの公法学者。ミュンヘンやチュービンゲンなどの大学で法学・国家学を学び,ローシュトック大学の国家学教授となる。1878年(明治11)外務省顧問として招聘され,のち内閣顧問。明治憲法起草に際し,伊藤博文に助言を与え,草案を示して内容・構成・条文の形態の基礎を作った。93年帰国。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
「ロエスレル」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…石川が福沢門下であり,この邦訳の第4編序文を田口卯吉が書いたことからもわかるように,《国富論》は彼らの自由主義経済論の支柱となったのである。しかし,1878年に来日して翌年から外務省法律顧問として活動したヘルマン・レースラーには,ドイツ歴史学派の立場からスミスを批判した著書があり,《独逸学協会雑誌》に訳載された論文においても,スミスは資本家を寄生者とし,労働者のみを生産的だとすることによって,社会主義の先駆となったと主張した。もちろん,この見解がそのまま日本でうけいれられたわけではないが,自由主義に対して保護主義,利己心に対して利他心および国家意識が優位を占めたことは,両国の資本主義の後進性からして,不可避であった。…
…明治維新政府は〈富国強兵〉の名のもとに,近代国家の建設に努めたが,そのモデルとしては,はじめイギリスが考えられたが,明治14年(1881)の政変以後,伊藤博文らの主張するプロイセン・ドイツ型の国家がその模範となった。伊藤は翌年ヨーロッパ各国の憲法制度調査のため渡欧し,主としてベルリン大学のグナイスト,モッセ,ウィーン大学のL.vonシュタインのもとで研究を進め,また1878年から15年間にわたって日本政府の法律顧問として滞在したレースラーの協力もあって,ドイツ帝国に範をとった明治憲法および国家体制が整えられた(法典編纂)。兵制に関しては,1870年には海軍はイギリス式,陸軍はフランス式の方針であった。…
※「レースラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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