世界大百科事典 第2版 「レ・バン」の意味・わかりやすい解説
レ・バン【Les Vingt】
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
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…81年のブリュッセルでの〈蛹(さなぎ)La Chrysalide〉グループ展で初めて作品を公開した際は,光の効果に敏感な色彩家としてかなり好意的な評価も得たが,サロン(官展)にはこの時期の作品さえも,形や構図の不明晰,主題の卑近さ等を理由にほとんど受けいれられなかった。83年にブリュッセルで前衛的芸術団体レ・バン(二十人組)が結成され,クノップフらとともに創立会員となる。しかし,80年代半ばの作風の転換,すなわち明るく強烈な色彩の使用,いっそう激しさを増したタッチ,彼が好んで描いた骸骨(がいこつ)や仮面の跳梁するグロテスクで風刺的な主題は,反伝統主義的立場で結ばれたこのグループにおいてすら彼を孤立させることになり,《キリスト,ブリュッセルに入る》は89年のグループ展への出品を拒絶された。…
…ブリュッセル大学法学部に入学したが,画家を志して,アカデミーおよびメルリXavier Melleryのもとで学び,モローやラファエル前派の影響を受けて象徴主義に向かう。1884年美術団体〈レ・バン(二十人組)〉の創設に参加。さらにフランスの神秘主義者ペラダン主宰の〈薔薇十字〉展にもかかわりをもち,ブリュッセルにおいてベルギーを代表する象徴主義の画家として,女の魔性や芸術家の孤高性などを暗示的に表現した文学的作品を制作,一方で上流社会の女性たちの肖像画を描く。…
…19世紀後半,自国よりむしろパリで活動した画家としては,瀟洒(しようしや)な女性風俗を描いたステバンス,悪魔的あるいは好色的な主題を得意としたロップスや,モローに師事しかつ印象派の影響を受けたエバンプールHenri Evenepoel(1872‐99)がいる。一方,〈レ・バン(二十人組)〉が1884年以降ブリュッセルで国際的規模の展覧会を開いたことにより,印象主義,新印象主義等,パリの最新の動向が伝えられた。ベルギーは世紀末の象徴主義の一中心でもあり,〈レ・バン〉の創設者の一人クノップフがこれを代表する。…
※「レ・バン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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