ロイド・ジョージ(英語表記)David Lloyd George, 1st Earl of Dwyfor

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ロイド・ジョージ」の解説

ロイド・ジョージ
David Lloyd George, 1st Earl of Dwyfor

1863~1945

イギリスの政治家。27歳で下院に入り,自由党議員として,チェンバレン(ジョゼフ)帝国主義政策,南アフリカ戦争反対。1908年アスキス内閣の蔵相に任ぜられ,09年「人民予算」案を提出して社会福祉実施のための負担を地主,貴族らの高額所得者に求めた。第一次世界大戦の勃発で軍需相になるが,ついでアスキスに代わって連立内閣の首相(在任1916~22)として戦争を完遂した。戦勝の興奮の収まらぬときに総選挙で大勝し,パリ講和会議にイギリスを代表して列席した。アメリカのウィルソン,フランスのクレマンソーとともに三巨頭として会議を指導した。戦後,中近東問題で連立内閣は瓦解し,26年自由党党首となったが,労働党進出党勢挽回はできず,政界孤立した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア 「ロイド・ジョージ」の意味・わかりやすい解説

ロイド・ジョージ

英国の政治家。27歳で自由党下院議員。ボーア戦争に反対して名をあげ,商務院総裁を経て,1908年アスキス内閣の蔵相となり,社会保障に力を注ぐため富者に対する課税増大を盛った画期的な予算を強行。第1次大戦中は軍需相,陸相を勤め,1916年―1922年首相となり強力な戦時体制を樹立して勝利に貢献,パリ講和会議の全権ともなった。労働党の進出と自由党の衰退により晩年は政界で孤立。1945年伯爵。
→関連項目ジョンパリ平和会議

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

ゲリラ豪雨

突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...

ゲリラ豪雨の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android