ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロペス」の意味・わかりやすい解説
ロペス
López, Francisco Solano
[没]1870.3.1. セロコラ
パラグアイの軍人,政治家,独裁者。大統領 (在任 1862~70) 。 C.ロペスの子。 18歳のとき代将としてアルゼンチンと戦い,1853~55年外交使節として渡欧。 55年陸相に就任,近隣諸国の内紛にたびたび介入した。 62年父の死によって大統領となり,独裁体制をしいて,軍隊を強化。ウルグアイのブランコ党を支援したが,ウルグアイ,ブラジル,アルゼンチンの反発を招き,64年3国を相手とするパラグアイ戦争に突入。陸軍元帥として陣頭指揮をとったが,70年ブラジル軍により殺害され,パラグアイの敗戦が決定した。パラグアイはこの戦争によって領土と全人口の半分以上を失い,国力は著しく疲弊した。
ロペス
Lopes, Rodrigo
[没]1594.6.7. タイバーン
イングランドの女王エリザベス1世の侍医。ポルトガル生れのユダヤ人で,1559年本国の宗教迫害を逃れてイングランドに亡命。ロンドンで医師として開業し,名声を博して,86年女王の侍医に抜擢された。 94年反スペイン派の指導者2代エセックス (伯)からスペイン政府と通じて女王毒殺の陰謀をたくらんでいるとして取調べられ,強引に処刑された。これは反スペインの機運をあおろうとしたエセックスのでっちあげ裁判と考えられている。シェークスピアの『ベニスの商人』中のシャイロックのモデルとされる。
ロペス
López, Vicente Fidel
[没]1903
アルゼンチンの歴史家,ジャーナリスト,政治家。 J.ロサス独裁に反対して 1840~52年チリに亡命し,ロサス批判の文筆活動を続けた。 53~61年アルゼンチンに帰り,J.ウルキサ大統領を支持。ウルキサの失脚とともに再びアルゼンチンを去った。主著『アルゼンチン共和国の歴史』 Historia de la República Argentina (10巻,1883~93) 。
ロペス
López, Narciso
[没]1851.9.1. ハバナ
キューバ解放運動の先駆者。スペイン軍に入隊し,S.ボリバルのベネズエラ独立戦争弾圧に参加。 1823年キューバ,その後スペインに渡り,将軍,上院議員,トリニダード総督になったが免じられ,スペインに反抗する立場に変った。 48年のキューバ反乱に失敗してアメリカに亡命。キューバのアメリカへの併合を主張。 50,51年の2回キューバ上陸を企てて失敗,捕えられ処刑された。
ロペス
López, Carlos Antonio
[没]1862.9.10. アスンシオン
パラグアイの政治家,独裁者。大統領 (在任 1844~62) 。在任中は J.フランシア前大統領の孤立政策を若干修正してブエノスアイレスとの交易,ローマ教皇庁との外交関係の樹立などを実施し,内政面でも道路建設,学校建設など国の近代化に努めた。しかし在職 18年間中,国際的には多難で,アメリカおよび近隣国との関係は円滑でなかった。
ロペス
Lopes, Fernão
[没]1460頃
ポルトガルの年代記作者。「ポルトガル歴史の父」と呼ばれる。平民出身であったが,トレデトンボ文書館に勤め,国王ジョアン1世 (名王) ,次いでドゥアルテに仕えてポルトガル歴代王の年代記を編纂した。国王の年代記作者ながら民衆の立場に立つ彼の歴史観は,主著『ドン・フェルナンド王年代記』 Crónica de Don Fernando (2巻) に最もよく表われている。
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