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デジタル大辞泉
「ローゼンベルク」の意味・読み・例文・類語
ローゼンベルク(Alfred Rosenberg)
[1893~1946]ドイツの政治家。ナチス党機関紙の主筆となり、アーリア民族の優越性を唱える人種理論を展開。ニュルンベルク裁判で絞首刑。著「二〇世紀の神話」。
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ローゼンベルク
Rozenberg, David Iokhelevich
[生]1879.11.27. シャテイキャイ
[没]1950.2.17. モスクワ
ソ連の経済学者。 1920年ソ連共産党員となり,オムスク共産主義大学,24~31年クルプスカヤ共産主義教育アカデミーで経済学を講じ,31~37年赤色教授団経済研究所教授,同時に共産主義教育大学経済研究所主任研究員,36年科学アカデミー経済研究所に勤務。 37年以降モスクワ大学,41~43年カザン大学でそれぞれ教授。 45~48年ソ連共産党付属マルクス=エンゲルス=レーニン大学主任研究員。 K.マルクスの『資本論』のすぐれた注解書『資本論註解』 Kommentarii k "Kapitalu" Karla Marksa (4巻,1931~33) やマルクス主義の立場から書かれた『経済学史』 Istoriya politicheskoi ekonomii (3巻,34~36) などで知られている。
ローゼンベルク
Rosenberg, Alfred
[生]1893.1.12. エストニア,レバル
[没]1946.10.16. ニュルンベルク
ロシア生れのドイツのナチス党理論家。モスクワで建築学を学んだのち,1918年ミュンヘンで極右民族主義運動を始め,19年末ドイツ労働者党 (のちのナチス) に入党。 21年ナチス党機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター』 Völkischer Beobachterの主筆として初期ナチス運動を指導した。 23年 11月のミュンヘン一揆に参加。『20世紀の神話』 Der Mythus des 20. Jahrhunderts (1930) を著わして反ユダヤ人主義,ゲルマン民族の世界支配の歴史的使命などを強調した。 30年国会議員に当選,33年党外交部長となったが,その後あまり重視されず,41~45年東方占領地相。第2次世界大戦後ニュルンベルク裁判で絞首刑の判決を受け 46年処刑された。
ローゼンベルク
Rosenberg, Arthur
[生]1889.12.19. ベルリン
[没]1943.2.8. ロングアイランド
ドイツの歴史家。 1914年からベルリン大学で古代史を教える。ワイマール共和国期にはドイツ共産党の国会議員をつとめるも 27年離党,ベルリン大学での教授に戻るが,ナチに追われて 33年にイギリス,38年にアメリカへと亡命し,ブルックリン・カレッジで歴史講座を担当した。主著『ボルシェビズムの歴史』 (1932) 『ドイツ共和国の歴史』 (35,邦題『ワイマール共和国史』) ,『民主主義と社会主義』 Demokratie und Sozialismus (38,邦題『近代政治史』) 。
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ローゼンベルク
Alfred Rosenberg
1893~1946
ナチス・ドイツの理論家。ロシア革命を逃れドイツに亡命し,やがてナチ党に入党,1923年党機関紙『フェルキッシャー・ベオーバハター』の主筆となり,ナチズムの主要なイデオローグとして活動した。33年党の外交局長となり,34年以後は党のイデオロギーを統制する地位につき,41年東部占領地行政長官となった。戦後,ニュルンベルク国際軍事裁判で絞首刑に処せられた。主著『20世紀の神話』。
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「ローゼンベルク」の意味・わかりやすい解説
ローゼンベルク
ドイツのナチズム理論家。エストニア生れ。1918年ナチスに入党。党機関紙主筆を経て,政権樹立後はアーリヤ人の優越性と世界支配の歴史的使命を強調し,党イデオロギーの統制と宣伝に当たった。第2次大戦後戦犯として処刑。主著《20世紀の神話》。
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ローゼンベルク【Alfred Rosenberg】
1893‐1946
ドイツの政治家,ナチス党員。ロシア領レバル(現,エストニア共和国タリン)に生まれ,インド哲学や美学,さらにリガ,モスクワで建築学を学ぶ。1919年ミュンヘンに移住,著述家として活躍。21年以降,ナチスの機関紙《フェルキッシャー・ベオバハター》編集長。33年以降,同党外交部の指導者,34年からはナチスの世界観養成・普及の指導者の任にあたる。41‐45年は東部占領地域担当の大臣に就任。46年10月ニュルンベルク国際裁判で死刑判決。
ローゼンベルク【Arthur Rosenberg】
1889‐1943
ドイツの歴史学者,政治家。1918年の十一月革命ののちドイツ独立社会民主党に入党,同党が共産党と合同後共産党のベルリン市会議員,24‐28年国会議員を務めたが,28年離党。30‐33年ベルリン大学で古代史を講じたが,ナチスのユダヤ人迫害を逃れてイギリスに亡命。38年以降ニューヨークのブルックリン大学の教授。第1次大戦の敗因に関するドイツ国会での調査活動をもとに《ワイマール共和国の成立と歴史》(1955。
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世界大百科事典内のローゼンベルクの言及
【フェルキッシャー・ベオバハター】より
…しかし25年に復刊し,当初はミュンヘンだけで発行されていたが,30年にはベルリンでも,38年にはオーストリア併合でウィーンでも発行するなど,ナチスの発展とともに伸長し,44年の最盛期には170万部に達したものの,45年ナチスの崩壊とともに消滅した。1923年から37年まで,ナチスの理論的指導者であったA.ローゼンベルクが主筆を務め,デマと宣伝で政敵を攻撃するなどナチズムの強力な宣伝媒体として機能した。その一方,J.ゲッベルスがベルリンで発行していたもう一つの党機関紙《アングリフDer Angriff》とは,つねに対立を続けた。…
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