知恵蔵 「ローリング・ストーンズ」の解説
ローリング・ストーンズ
初期はカバー曲が多く、ブルースを始め黒人音楽に造詣(ぞうけい)の深いブライアンがリーダー的存在だった。しかし、65年ミック・ジャガーとキースの共作「サティスファクション」の大ヒットによって、2人がバンドをリードするようになり、ビートルズと並び称される世界的なバンドに成長していった。
その後もヒット曲を連発していたが、67年、ミック・ジャガー、キース、ブライアンが麻薬所持で逮捕される。バンド存続が危ぶまれたが、「反逆児」のイメージで、より人気が高まることとなった。69年にブライアンが脱退、直後に謎の死を遂げる。更に同年、ミック・テイラー(ギター)の加入間もないオルタモントのフリーコンサートで、演奏中に観客の黒人青年が警備のヘルズ・エンジェルスによって刺殺されるという事件(オルタモントの悲劇)が起こり、ストーンズも批判を浴びた。
70年代に入ると、自ら立ち上げたレーベルのもと、カントリーやソウル、ルーツである黒人音楽を深化させ、名盤の誉れ高いアルバム「スティッキー・フィンガーズ」「メイン・ストリートのならず者」を次々とリリース。突然のミック・テイラーの脱退(74年)も、ロン・ウッドの加入(76年)で乗り越え、ライブ・バンドとしての地位も不動のものにしていった。
80年代は、音楽的には評価が分かれ、やや迷走との声もある。ミック・ジャガーとキースの反目、それぞれソロ活動に重点を移したことから、再び解散もささやかれたが、90年には初来日(東京ドーム10回公演)を果たした。その2年後、結成時のメンバー、ビル・ワイマンが脱退したが、現在に至るまで正式メンバーの補充はしていない。
02年には、ミックが英国王室からナイトの爵位を授与された。長年の音楽への貢献が理由だが、受賞を批判したキースを支持するファンも少なくない。今世紀に入り、新譜リリースは少ないもののライブ活動は旺盛で、14年2~3月には8年ぶり6度目となる日本公演が予定されている。
(大迫秀樹 フリー編集者 / 2014年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報