世界大百科事典 第2版 「三世相錦繡文章」の意味・わかりやすい解説
さんぜそうにしきぶんしょう【三世相錦繡文章】
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
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… しかし,1860年(万延1)4世文字太夫(豊後大掾)と4世岸沢古式部(5世式佐)が対立,岸沢派が袂を分けて独立した。通説では1857年(安政4)に大当りをした《三世相錦繡文章(さんぜそうにしきぶんしよう)》の功名争いをその原因とするが,《三世相》上演後2年は同席しているのでそれだけではなく,岸沢古式部に独立の意志があり,それがたまたま文字太夫との紛争をきっかけとして表面化したと推測される。分裂後文字太夫は2世佐々木市蔵を,小文字太夫は初世常磐津文字兵衛を三味線方とし,岸沢古式部は太夫となり6世式佐を三味線方としたが,82年7世小文字太夫(常磐津林中)により和解が成立,その記念として《釣女》《松島》が作られている。…
※「三世相錦繡文章」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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