三井金属鉱業(読み)みついきんぞくこうぎょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三井金属鉱業」の意味・わかりやすい解説

三井金属鉱業(株)
みついきんぞくこうぎょう

大手非鉄金属メーカー。1950年(昭和25)に財閥解体により三井鉱山の第二会社神岡鉱業として設立され、1952年に現社名に改称したが、その創業は、1874年(明治7)に三井組が岐阜県神岡鉱山の一部を取得したときにさかのぼる(1889年全山取得)。岡山県日比(ひび)(銅)と広島県竹原(銅・鉛)などに製錬所をもつ。ペルーなど海外での鉱山開発の実績も多い。神岡鉱山の鉱毒の有無をめぐるイタイイタイ病裁判では、原告の住民側が勝訴した。亜鉛、銅、鉛など、非鉄金属資源の開発と生産を主産業としてきたが、近年、電子材料などの中間素材が事業の中核となってきている。子会社に、1986年(昭和61)神岡鉱業所が分離独立した神岡鉱業、2020年(令和2)に設立された日比製煉(せいれん)(前身は1893年(明治26)に起源をもつ日比製煉所)などがある。資本金421億7800万円(2023)、売上高6519億6500万円(2023年3月。連結ベース)。

[橘川武郎]

『三井金属鉱業株式会社修史委員会編『神岡鉱山史』(1970・三井金属鉱業株式会社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三井金属鉱業」の意味・わかりやすい解説

三井金属鉱業
みついきんぞくこうぎょう
Mitsui Mining & Smelting Co., Ltd.

総合非鉄金属会社。1950年企業再建整備法により,三井鉱山(→日本コークス工業)の金属部門を分離して神岡鉱業が設立され,1952年現社名に変更。1962年王子金属工業と昭和ダイカストを吸収合併し,伸銅部門,ダイカスト事業部門を設けた。1974年三池化成工業,1980年三井金属箔製造,三金レア・アースを吸収合併。1990年東京高級炉材,三井金属パーライト,ダイカライト・オリエントと合併し,三井金属を呼称とする。神岡鉱山は亜鉛と鉛で東洋一の規模を有し,鉱石の採掘から最終製品まで一貫生産を行なっていた。三池,日比,竹原にも製錬所がある。海外資源の開発に積極的で,ペルーに事業所を置き大型銅鉱山開発を主導するほか,チリやカナダにも進出した。近年は液晶向けなど電子材料が収益に大きく寄与している。

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世界大百科事典(旧版)内の三井金属鉱業の言及

【イタイイタイ病】より

…全身の激痛を訴えることから,この病名が通称として用いられるようになった。1955年に河野稔らがこの病気を初めて学会に報告し,68年にはこの病気を神通川上流の三井金属鉱業神岡鉱業所より排出されたカドミウムCdに起因する公害病と認めた厚生省見解が発表された。
[症状]
 腰痛,下肢筋肉痛などで始まり,股(こ)関節の開排制限,アヒル様歩行などを示す。…

【三井鉱山[株]】より

…石炭主体の日本の代表的な資源会社。創業は1874年(明治7),三井組が神岡鉱山の一部を取得した時点にまでさかのぼる。その後88年に政府から三井物産会社に払い下げられた三池炭鉱の経営を89年に譲渡され,92年に三井鉱山合資会社を設立,その経営にあたった。さらに筑豊三山(山野,田川,本洞)の開坑など業務を拡大。1909年三井合名会社の鉱山部となったが,11年三井鉱山(株)として独立し,三井物産,三井銀行とともに,三井合名会社を頂点とする三井コンツェルンの形成に大きな役割を果たした。…

※「三井金属鉱業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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