朝日日本歴史人物事典 「三井高平」の解説
三井高平
生年:承応2.4.27(1653.5.24)
江戸前期の豪商三井家の家祖三井高利の長男。母は寿讃。伊勢国(三重県)松坂生まれ。法号宗竺。父高利は江戸本町4丁目にある長兄三井三郎左衛門俊次の呉服店で支配人として働いて大いに伸長させ,競争相手となることを恐れた俊次から母殊法の世話をするという名目で松坂に戻された。しかし,高平は寛文7(1667)年に俊次の店に勤務。同10年ごろに三井八郎右衛門を名乗った。江戸に呉服店を開くという高利の願望を実現するために準備に当たり,延宝1(1673)年の俊次の死亡を好機として江戸本町1丁目に呉服店を,京都室町通りに仕入れ店を開くと,高平は京都で呉服物の仕入れに当たった。幕府の呉服御用や御為替御用を引き受けて,三井家経営の基礎を築き,実質的に三井家の事業を統轄していた。元禄7(1694)年に高利が認めた遺書では,8人の子供たちと2人の取り立ての者への財産の配分比率を定めているが,高平は4割1分と際立っていた。しかし三井家の事業は高平の兄弟たちが共同して築き上げたもので,事実上の共有財産となっていたため,兄弟たちは財産不分割の誓約の一札を高利に出している。高平は,高利亡きあとは家長として家産共有制を維持して,大元方制度を創設し,享保7(1722)年には自ら『宗竺遺書』を認めて本家6家,連家3家の同族組織を確定し,賄料以下同族の生活の基準を定めるとともに,同族の守るべき規範を定めてそれを三井家の家法とした。<参考文献>三井文庫編『三井事業史』本編1巻
(賀川隆行)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報