三宅丞四郎(読み)みやけ・じょうしろう

朝日日本歴史人物事典 「三宅丞四郎」の解説

三宅丞四郎

没年:明治28.9.15(1895)
生年天保3(1832)
福井織物業の技術改良を推進した機業家。丞大夫の3男。幼名嘉蔵。祖父の代に坂井郡三宅村(福井市)から福井に出て織物業を始めたと伝える。早く大坂商売に従事し帰郷後父業を継ぐ。安政6(1859)年開設の福井藩物産惣会所のうち絹織物の元締役となる。明治1(1868)年惣会所の帳面方に「三宅丈太夫」の名があるが,なお関係は明らかでない。功績は「特に綜絖ニカタン糸ヲ用フルコトヲ発明」したことにあるという。同32年建立の機業碑に「祖先の志を継ぎ,畢生の精力を織業に竭し」羽二重を日本第2位の輸出品とした「功労赫顕なり」とある。<参考文献>三上一夫『公武合体論研究』,『福井県自治民政資料』

(隼田嘉彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宅丞四郎」の解説

三宅丞四郎 みやけ-じょうしろう

1832-1895 幕末-明治時代実業家
天保(てんぽう)3年生まれ。安政元年大坂での商売をやめ郷里の越前(えちぜん)福井にもどり,家業の織物業をつぐ。6年福井藩の物産総会所絹織物方の元締役となる。維新後,京都で織機を研究し糸繰機を改良。福井で一六社をつくり羽二重を販売した。明治28年9月15日死去。64歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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