精選版 日本国語大辞典 「三職」の意味・読み・例文・類語
さん‐しき【三職】
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1867年(慶応3)12月9日から翌年閏(うるう)4月21日に至る間の、維新政府の中央組織。67年12月の王政復古によって誕生した維新政府は、摂政、関白、幕府などの統治機関を廃し、総裁、議定(ぎじょう)、参与からなる三職を置いた。三職は政策決定機構というべきで、着想の源泉は幕末の上下議院論にある。議定は上院に、参与は下院に相当する。したがって議定は上級廷臣、諸侯から、参与は下級廷臣ならびに西南雄藩の藩士から任命された。総裁が置かれ、有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が任命されたのは、明治天皇が弱年であったからであろう。なお、のちに副総裁が置かれて、三条実美(さねとみ)と岩倉具視(ともみ)が任命された。鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに勝利を収め近畿、西日本を支配下に置いた維新政権は行政組織を必要とし、1868年(慶応4)正月17日、三職のもとに神祇(じんぎ)、内国、外国、海陸軍、会計、刑法、制度の七科を置いた(三職七科制)。科の長官たる総督には議定が、次官ないし高級官吏ともいうべき掛(かかり)には参与が任命された。2月3日、七科は廃され、八局となった(三職八局制)。七科はそれぞれ局(海陸軍のみは軍防と改称)となり、首位に総裁局が設置された。ここには、木戸孝允(たかよし)、小松帯刀(たてわき)、後藤象二郎(しょうじろう)、大久保利通(としみち)ら薩長土(さっちょうど)の有力藩士が顧問として任命された。有力藩士の政治指導が不十分ながら制度的に保証されたわけであり、中央集権的な色彩が強まったわけである。しかし、三職制はしょせん臨時の機構であり、閏4月21日に廃止されて、政体書に基づく太政官(だじょうかん)制がこれにかわった。
[井上 勲]
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王政復古の結果成立した新政府の要職の総裁・議定(ぎじょう)・参与の総称。1867年(慶応3)12月9日,王政復古の大号令により幕府および摂政・関白などが廃止となり,天皇のもとに三職が設けられ,国政の中枢となった。総裁には有栖川宮熾仁(たるひと)親王,議定には皇族・公卿・諸侯(雄藩藩主),参与には公家および鹿児島・高知・福井などの雄藩(のち萩藩も加わる)の藩士各3人が任じられた。68年(明治元)閏4月,政体書発布により廃止。
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