三須宗太郎(読み)ミス ソウタロウ

20世紀日本人名事典 「三須宗太郎」の解説

三須 宗太郎
ミス ソウタロウ

明治・大正期の海軍大将,男爵



生年
安政2年8月6日(1855年)

没年
大正10(1921)年12月24日

出生地
近江国彦根(滋賀県)

学歴〔年〕
海兵〔明治11年〕卒

経歴
彦根藩士の子として生まれる。海軍兵学寮在学中は台湾出兵西南戦争従軍、明治14年少尉に任官。日清戦争時は人事課長を務めた。軍艦須磨、浪速、朝日などの艦長歴任し、日露戦争開戦時は第二戦隊司令官。38年5月東郷平八郎司令長官直率の第一艦隊第一戦隊司令官として日本海海戦に参加、敵艦隊の直前で回頭する“T字戦法”により旗艦日進が被弾し左目失明の戦傷を受けたが、同戦法によりバルチック艦隊殲滅に貢献。同年11月教育本部長、39年2月旅順鎮守府長官、同年11月軍令部次長。40年日露戦争の戦功により男爵となる。44年舞鶴鎮守府長官。大正2年大将に昇進

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「三須宗太郎」の解説

三須宗太郎

没年:大正10.12.24(1921)
生年:安政2.8.6(1855.9.16)
明治大正期の海軍軍人。彦根藩(滋賀県)藩士三須熊次の長男。明治11(1878)年海軍兵学寮を卒業後,木造艦「竜驤」副長,巡洋艦「浪速」艦長などを歴任。軍人生活の大部分を艦上で過ごした現場派の筆頭として,38年第1艦隊司令官,中将に昇進。同年5月,東郷平八郎率いる連合艦隊の一員として対馬沖にロシアのバルチック艦隊を迎え撃った三須は,装甲巡洋艦「日進」に司令官旗を翻し,敵艦隊の直前で回頭する「T字戦法」を敢行,三須自身左目を失うほどの猛攻にさらされながらもこれに耐え,逆にロシア艦隊を包囲網にとらえ,撃破した。この功により戦後男爵。軍令部次長,舞鶴鎮守府長官を経て大正2(1913)年大将。

(山崎有恒)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三須宗太郎」の解説

三須宗太郎 みす-そうたろう

1855-1921 明治-大正時代の軍人。
安政2年8月6日生まれ。日露戦争では第一艦隊の第一戦隊司令官となり,日本海海戦に奮戦。自身左眼をうしなった。のち海軍教育本部長,軍令部次長などを歴任。大正2年海軍大将。大正10年12月24日死去。67歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。海軍兵学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「三須宗太郎」の解説

三須 宗太郎 (みす そうたろう)

生年月日:1855年8月6日
明治時代;大正時代の海軍軍人。男爵;大将
1921年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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