上京(読み)かみぎょう

精選版 日本国語大辞典 「上京」の意味・読み・例文・類語

かみぎょう かみギャウ【上京】

[一] 京都市行政区の一つ。明治二二年(一八八九成立。市北西部、鴨川紙屋川天神川)に挟まれた地域京都御所北野天満宮ほか京都府庁同志社大学などがあり、行政文化中心的地域。昭和三〇年(一九五五北区分区
[二] 京都市の、三条通りを境にした北部の称。
太平記(14C後)三三「二月十五日の朝は、東山の勢共上京へ打入て、兵粮を取る由聞へけれは」

じょう‐きょう ジャウキャウ【上京】

〘名〙 みやこにのぼること。昔は、地方から京都に行くこと。今では、地方から東京に行くこと。
宗湛日記‐天正一四年(1586)「二十三日上京、宗及老御宿に始て参候

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デジタル大辞泉 「上京」の意味・読み・例文・類語

かみ‐ぎょう〔かみギヤウ〕【上京】

京都市北部の三条通り以北の、御所を中心とする地域。
京都市北部の区名。明治22年(1889)の市制で下京区とともに成立、昭和4年(1929)左京・中京・東山各区を、同30年北区を分離。御所・府庁・西陣織物会館がある。

じょう‐きょう〔ジヤウキヤウ〕【上京】

[名](スル)地方で暮らす人が都に行くこと。特に東京へ行くこと。「息子に会いに上京する」
[類語]上り

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世界大百科事典 第2版 「上京」の意味・わかりやすい解説

かみぎょう【上京】

京都の地名。平安末期から鎌倉初期にかけて,かつての平安京右京は土地湿潤のためにすたれ,人々は左京へ移住した(《方丈記》)。このため京域は南北に細長い区画となり,条坊の範囲を越え公家邸も北へと延びはじめた。こういった経過から,旧来の東・西(左・右)から上・下という新たな地域概念が発生するが,1275年(建治1)には記録上に〈上・下町中〉の記述もあらわれる(《思円上人一期形像記》)。次いで14世紀末から15世紀にかけて,火災記事などに〈上辺・下辺〉〈上京・下京〉などの用例が数多くみえるようになり(《山科家礼記》ほか),このころには上京・下京が独立した集落を形成していたことがうかがえる(当時の両京の境は二条通付近)。

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百科事典マイペディア 「上京」の意味・わかりやすい解説

上京【かみぎょう】

上京・下京

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世界大百科事典内の上京の言及

【京都[市]】より

…低湿な右京(西部)はやがてさびれ,高燥な東部,北部へと発展し,平安京の東縁であった鴨川の東へも早くから市街が広がった。 市制施行時には面積は約30km2で,上京,下京の2区のみであったが(現在の両区とは範囲が異なる),その後市域が拡大し,1929年には上京,下京,中京,左京,東山の5区となった。31年には伏見市などを編入して伏見区,右京区が設けられ,第2次世界大戦後にはさらに北方の丹波高地や南西方の町村を合わせ,59年約610km2の現市域が成立した。…

【平安京】より

…他方,市街地の北と南の区別が二条通(大内裏南辺の東西路)を境にしてなされ,上辺(かみわたり),下辺(しもわたり)の称も生まれた。のちの上京,下京である。
[京の住民]
 記録の上で平安京にのみ見られるものに諸司厨町(しよしくりやまち)がある。…

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