上菅生村(読み)かみすがおむら

日本歴史地名大系 「上菅生村」の解説

上菅生村
かみすがおむら

[現在地名]多摩区生田いくた一―八丁目・東生田ひがしいくた一―四丁目・枡形ますがた一―七丁目・東三田ひがしみた一―三丁目・三田みた一―五丁目・寺尾台てらおだい一―二丁目

東は長尾ながお村・宿河原しゆくがわら村、西は五反田ごたんだ村、北は登戸のぼりと村に接し、南の下菅生村(現宮前区)と村境が錯雑する。いな松本まつもと飯室いいむろ明王みようおうなどの小字がある。登戸村との境を西から東へりよう用水が流れ宿河原村へ至る。

小田原衆所領役帳には高田玄蕃助「卅貫文 小机菅生内」、高田寄子「卅貫文 小机菅生内」とある。また元亀三年(一五七二)正月九日の宮城四郎兵衛尉宛の北条家着到定書(県史三)には「九十貫文 小机之内菅生」とあり、軍役が課せられている。


上菅生村
かみすごうむら

[現在地名]竹田市菅生

滝水たきみず川上流左岸にあり、肥後への往還東西に通る。正保元禄・天保の各郷帳に村名がみえない。弘化物成帳では菅生組のうち、村位は中、免四ツ五分、田九石余(九反余)・畑一〇一石余(一八町四反余)・屋敷四石余(四反余)で、開田はほんのわずかで、開畑二石余(五町二反余)がある。


上菅生村
かみすごうむら

[現在地名]赤穂市東有年ひがしうね

長谷はせ川下流の菅生山東麓にあり、東は下菅生村。慶長国絵図に「上すがう」と記される。正保郷帳では有年栗栖うねくるす村に含まれる。元禄郷帳に村名がみえ高三三八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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