長野県中部,諏訪郡の町。人口2万1532(2010)。諏訪湖の北岸に位置し,湖岸の砥(と)川扇状地に市街地を形成する。中心集落の下諏訪は近世,中山道と甲州道中の分岐点の宿駅であり,古代からの歴史をもつ諏訪大社下社(重文)の門前町,さらに温泉町として栄えた。第2次世界大戦前は製糸業中心の町であったが,戦後,カメラ,オルゴール,時計を主体とする精密工業,繊維工業が飛躍的に発展し,県下有数の工業地帯となっている。北東部には八ヶ岳中信高原国定公園に含まれる八島ヶ原湿原がある。この高層湿原に展開する植物群落は霧ヶ峰湿原植物群落とよばれ,天然記念物に指定されている。諏訪湖はワカサギ釣り,スケートなどを楽しむ人々でにぎわう。JR中央本線が諏訪湖に沿って通る。
執筆者:柳町 晴美
諏訪大社下社(春宮,秋宮)は湖南の上社とともに古代以来の大社で,中世には信濃国一宮として国中の御家人の頭役奉仕をうけ,諏訪信仰の普及で繁栄した。戦国期に上社と抗争して衰退したが武田信玄が復興,江戸幕府の朱印領500石。7年目ごとの御柱(おんばしら)祭をはじめ参詣人でにぎわった。秋宮門前一帯の町並みは湯之町と称し,綿の湯,小湯,旦過湯(たんがのゆ)が湧く温泉町でもあった。1602年(慶長7)湯之町に中山道の宿駅が設けられ,甲州道中の終点でもあった。65年(寛文5)の宿町高243石余,町通り長さ4町50間,ほかに甲州通り分52間。家数は82軒で,問屋2軒,庄屋2軒,町年寄5軒,伝馬役家50軒など。問屋場を中心に町並みが拡大し,旅籠屋は横町,立町,湯田町などに天保年間(1830-44)42軒。小倉織や養蚕,製糸も盛んであった。1868年(明治1)相楽総三ら嚮導(きようどう)隊が新政府によって偽官軍としてここで処刑された。
執筆者:古川 貞雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
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