不開間(読み)あかずのま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「不開間」の意味・わかりやすい解説

不開間
あかずのま

江戸城大奥の「宇治の間」などにまつわる俗称。不明間とも書く。宇治の間は大奥最深部の25畳の部屋で、5代将軍綱吉(つなよし)の時代までは御台所(みだいどころ)の居間であった。綱吉毒殺の風説以来、絶対に開けてはならぬ「明かずの間」とされ、忌み、恐れられたという。三度の大火にも元どおりに再建され、幕末までさまざまな怪談を生んでいる。また、熊本城の天守閣内の「昭君(しょうくん)の間」も明かずの間であったが、実は「将軍の間」のカムフラージュで、藩祖加藤清正が将来徳川方と一戦の際、豊臣秀頼(とよとみひでより)を迎え入れるための部屋で、万一の場合は袋戸を外せば抜け穴口が開いていたと伝えられる。江戸城の宇治の間も床は抜け穴になっており、それを隠すため、何度焼けても無用の明かずの間を建てたという説もある。

稲垣史生

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