デジタル大辞泉
「与謝蕪村」の意味・読み・例文・類語
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与謝蕪村
与謝蕪村 江戸中期の俳諧師、画家。江戸俳諧中興の祖とされる。独創性を失った当時の俳諧を憂い、蕉風(松尾芭蕉と門流の俳風)への回帰を唱えた。写実的な発句を得意とした。代表句に〈春の海終日のたりのたりかな〉〈なの花や月は東に日は西に〉〈さみだれや大河を前に家二軒〉など。正岡子規の俳句革新に大きな影響を与えたことでも知られる。文人画でも大成した。
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よさ‐ぶそん【与謝蕪村】
- 江戸中期の俳人、画家。摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)の農家に生まれた。本姓谷口、のち与謝。別号宰鳥、夜半亭二世。画号四明・春星・謝寅など。一七、八歳のころ江戸に出て、画や俳諧を学び、俳諧の師巴人が寛保二年(一七四二)に没してからは江戸を去り、一〇年あまり東国を放浪した。宝暦元年(一七五一)京都に移ってからは、しだいに画俳ともに声価を高め、明和七年(一七七〇)には夜半亭を継ぎ宗匠の列につらなった。さらに安永二年(一七七三)には「あけ烏」を刊行し、俳諧新風を大いに鼓吹した。俳風は離俗、象徴的で美的典型を示しており、中興俳諧の指導的役割を果たした。一方、画にすぐれ、大雅と並び文人画の大成者といわれる。著「新花摘」「夜半楽」「玉藻集」など。句集に「蕪村句集」がある。享保元~天明三年(一七一六‐八三)
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与謝蕪村
よさぶそん
[生]享保1(1716).摂津
[没]天明3(1783).12.25. 京都
江戸時代中期の画家,俳人。本姓,谷口。別号,宰町,宰鳥,落日庵,紫狐庵,夜半翁,夜半亭2世。画号,長庚,春星,東成,謝寅 (しゃいん) など。豊かな農家に生れたが,両親と家産を失い,17~18歳頃江戸に下り,絵画,俳諧を志した。俳諧は内田沾山,夜半亭早野巴人に師事。寛保2 (1742) 年巴人没後,下総結城の友人砂岡雁宕 (いさおかがんとう) 方に身を寄せ,以後 10年間常陸,下総を中心に放浪生活を続け,画俳の基礎を固めた。延享1 (44) 年 29歳のとき蕪村と改号,翌年和詩『北寿老仙をいたむ』を書いた。宝暦1 (51) 年京都へ移住,以後約 10年間,画業を主とし画名大いにあがった。明和7 (70) 年夜半亭2世を継ぎ,京都俳壇の中心人物となり,池大雅と合作の『十便十宜』を描き,画俳ともに大成期を迎えた。句日記『新花摘』,連句『桃李 (ももすもも) 』 (80) ,追悼集『から桧葉』などがある。高い美意識や教養に基づく感性的,ロマン的作風で,中興期俳壇を代表する俳人。
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与謝蕪村 よさ-ぶそん
1716-1784* 江戸時代中期の俳人,画家。
享保(きょうほう)元年生まれ。20歳ごろ江戸にでて早野巴人(はじん)(夜半亭宋阿)に俳諧をまなぶ。師の死後は関東,奥州を遊歴し,宝暦元年京都にうつる。写実性,浪漫性,叙情性にとむ俳風で中興期俳壇の中心的存在となる。晩年は蕉風(しょうふう)復興を提唱。画家としては文人画を大成,代表作に池大雅との合作「十便十宜図」がある。天明3年12月25日死去。68歳。摂津東成郡(大阪府)出身。本姓は谷口。俳号は別に夜半亭,紫狐庵など。著作に俳体詩「春風馬堤曲(しゅんぷうばていのきょく)」,句日記「新花摘(しんはなつみ)」など。
【格言など】しら梅に明くる夜ばかりになりにけり(辞世)
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与謝蕪村
よさぶそん
1716〜83
江戸中期の俳人・文人画家
本姓谷口,画号謝寅 (しやいん) 。摂津(大阪府)東成郡の富農の出身。江戸で早野巴人 (はじん) に俳諧を学び,また書・画・漢詩をおさめ,のち京都に定住。文人画の大家として池大雅と並称され,合作の『十便十宜図』は有名。また蕉風俳諧を信奉して,絵画的・ロマン的な句で俳諧を中興した。著書に句集『蕪村七部集』など。また『奥の細道図屛風』など俳画の確立者でもある。
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世界大百科事典(旧版)内の与謝蕪村の言及
【蕪村】より
…江戸中期の俳人,文人,画家。姓は谷口,のち与謝(よさ)と改める。俳号は落日庵,紫狐庵,夜半亭など,画号も四明,朝滄(ちようそう),長庚,春星など数多い。摂津国東成郡毛馬村(現,大阪市)に生まれ,享保(1716‐36)の末年に江戸に下った。俳諧を学ぶが,1737年(元文2),京から江戸に戻った夜半亭宋阿(早野[巴人](はじん))の内弟子となり,宰町の号で江戸俳壇に出る一方,絵画にも親しむ。また服部南郭(なんかく)の講義にも列席したらしい。…
※「与謝蕪村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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