世宗(読み)せいそう

精選版 日本国語大辞典 「世宗」の意味・読み・例文・類語

せい‐そう【世宗】

中国、金の第五代皇帝(在位一一六一‐八九)。女真名は烏祿。太祖阿骨打(アクダ)の孫。南宋不仲海陵王にかわり、南宋との国交を回復し、国内では官吏粛正財政緊縮、女真文化の保護を行ない、金の黄金時代を築いて、小堯舜と呼ばれた。(一一二三‐八九

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デジタル大辞泉 「世宗」の意味・読み・例文・類語

セジョン【世宗】

[1397~1450]李氏朝鮮の第4代国王。在位1418~1450。姓は、名は漢字発音を表記するためハングル制定。また、儒教を篤く保護した。
大韓民国中部に位置する都市ソウルからの首都機能移転を目的に、2012年、唯一の特別自治市として発足した。企画財政部・教育部・行政安全部などが移転済。命名にちなむ。人口34万(2020)。

せい-そう【世宗】

中国・朝鮮ベトナム王朝における廟号の1つ。の5代・烏禄ウルの12代・嘉靖帝の5代・雍正帝李氏朝鮮の4代・李裪イドなど。せそう。→世宗セジョン

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百科事典マイペディア 「世宗」の意味・わかりやすい解説

世宗【せいそう】

朝鮮,李朝第4代国王(在位1418年―1450年)。《訓民正音》を作成させてハングルによる朝鮮語の表記法を確立し,農書《農事直説》や史書高麗史》などの編集事業を推進した。また倭寇(わこう)壊滅のため対馬を攻撃(応永の外寇)したが,後には対日交易のため三浦(さんぽ)を置いた。名君として韓国では象徴化され,紙幣の肖像にもなっている。
→関連項目宗廟

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世界大百科事典 第2版 「世宗」の意味・わかりやすい解説

せいそう【世宗 Shì zōng】

921‐959
中国,五代後の第2代皇帝。在位954‐959年。姓名は柴栄。太祖郭威の柴皇后の甥で,太祖の養子となり,34歳で帝位を継いだ。老弱兵を大量に整理し,地方節度使管下の部隊から精鋭を抽出して中央に集中し,さらにそのうちの優秀なものを集めて殿前諸班という親衛部隊を編成した。この禁軍の大改革で五代最強かつ厳正な軍隊をつくり上げ,統一事業を推進した。まず後を討って軍馬供給地を含む4州を取り,ついで南を攻めて淮南・江北14州を奪取した。

せいそう【世宗 Se‐jong】

1397‐1450
朝鮮,李朝第4代の国王。在位1418‐50年。本名は李祹(りとう)。太宗の第3子。内外政に治績をあげて李朝の基盤を固め,後世,〈海東の尭舜〉とたたえられる。農業を重視し,《農事直説》という農書を編纂させ,田制詳定所を設けて田制の改革を行った。文化事業も盛んに推進し,《訓民正音》(朝鮮文字,ハングル)を作成させ,《高麗史》《高麗史節要》《竜飛御天歌》《資治通鑑訓義》などの編纂事業と並行して銅活字を鋳造させた。

せいそう【世宗 Shì zōng】

1123‐89
中国,金朝第5代の皇帝。在位1161‐89年。完顔雍(女真名烏禄)。1161年(正隆6),海陵王が無謀な南宋討伐を企ててひきおこした動乱の最中に,当時東京留守の任にあった世宗は海陵王に不満をもつ女真人や渤海人に推されて遼陽で即位した。海陵王が兵士に殺された後,同年世宗は中都(現,北京)に進出して,まず契丹人の反乱を収拾し,宋と和議を結んで(1165)平和を回復した。そして物力銭など新しい経済政策を実施する一方,経費を抑えて国家財政をたて直し,また地方官に人材を抜擢して民生の安定につとめた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「世宗」の解説

世宗 せいそう

1397-1450 朝鮮王朝の第4代国王。在位1418-50。
太祖6年4月10日生まれ。太宗の子。名君といわれ訓民正音(ハングル)の制定で知られる。倭寇(わこう)の本拠地とみなした対馬(つしま)を襲撃(応永の外寇(がいこう))したが,のち富山浦など三浦(さんぽ)を開港し,対馬島主宗(そう)氏を介して日本との修好通商関係を拡大した。世宗32年2月17日死去。54歳。姓は李。諱(いみな)は祹(とう)。

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