世界(読み)セカイ

デジタル大辞泉 「世界」の意味・読み・例文・類語

せ‐かい【世界】

7が原義》
地球上のすべての地域・国家。「世界はひとつ」「世界をまたにかける」
自分が認識している人間社会の全体。人の生活する環境。世間。世の中。「新しい世界を開く」「住む世界が違う」
職業・専門分野、また、世代などの、同類の集まり。「医者の世界」「子供の世界
ある特定の活動範囲・領域。「学問の世界」「芸能の世界」「勝負の世界
歌舞伎浄瑠璃で、戯曲の背景となる特定の時代・人物群の類型。義経記太平記など、民衆に親しみのある歴史的事件が世界とされた。
自分が自由にできる、ある特定の範囲。「自分の世界に閉じこもる」
《〈梵〉lokadhātuの訳。「世」は過去・現在・未来の3世、「界」は東西南北上下をさす》仏語。
須弥山しゅみせんを中心とした4州の称。これを単位に三千大千世界を数える。
㋑一人の仏陀の治める国土。
㋒宇宙のこと。
このあたり。あたり一帯。
「―暗がりて」〈竹取
地方。他郷。
「―にものし給ふとも、忘れで消息し給へ」〈大和・六四〉
10 遊里などの遊興の場。
「京町に何かお―が、おできなすったさうでござりますね」〈洒・通言総籬
[類語](1諸国列国各国万国両国列強万邦・国際社会・内外中外四海しかい八紘はっこう宇内うだい/(2人間界天下この世現世人世世の中世間社会巷間世上人中浮き世/(4)(6領分領域境域分野方面部門ジャンルフィールド

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精選版 日本国語大辞典 「世界」の意味・読み・例文・類語

せ‐かい【世界】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 仏語。
    1. (イ) ( [梵語] lokadhātu の漢訳から。「世」は過去・現在・未来の三世、「界」は東西南北上下の意 ) 衆生(しゅじょう)が住む時間と空間との全体をいう。人や生物が住む山川国土。娑婆世界。三千大千世界。
      1. [初出の実例]「不知何世界、出現救蒼生」(出典:文華秀麗集(818)中・和菅清公傷忠法師〈嵯峨天皇〉)
      2. 「いはゆる世界は、十方みな仏世界なり」(出典:正法眼蔵(1231‐53)古仏心)
      3. [その他の文献]〔法華経‐序品〕
    2. (ロ) 仏の境界や浄土のような無為の世界。
  3. ( より抽象的に ) 人間をとりまき、人間がそこで暮らしているある範囲の総体。
    1. (イ) 人間社会の全体。人が生活する地域。世間。世の中。
      1. [初出の実例]「世界の男、あてなるも賤(いや)しきも、いかで此かぐや姫を得てしがな、見てしがなと、音に聞きめでてまどふ」(出典:竹取物語(9C末‐10C初))
      2. 「疑ひ事わりなれども、せかいをせばめられ、耻辱にかへて助かるなり」(出典:曾我物語(南北朝頃)一)
    2. (ロ)
    3. (イ) を、自分が属している既知の地域、それ以外の未知の地域などと分けた場合、それぞれの範囲の地域。
      1. [初出の実例]「しらぬせかいに、とし若うしていきつたはり給つつ、悲しきめの限りを見給て」(出典:宇津保物語(970‐999頃)楼上下)
    4. (ハ) 地球上のすべてのひろがり。特に、諸国家の集合体。万国。地球。
      1. [初出の実例]「遠西の人世界(セカイ)万国に商舶を通じ、到ざるの邦鮮し」(出典:和蘭天説(1795)凡例)
  4. あたり一帯。そこらじゅう。
    1. [初出の実例]「いかがしけん、疾(はや)き風吹て、世界暗がりて、ふねを吹もてありく」(出典:竹取物語(9C末‐10C初))
  5. 遊興の行なわれる場。また、その遊興。
    1. [初出の実例]「幼少より、世界(せカイ)の、粋の中に、もまれて、諸訳手管の仕かけ迄、一つとして、くらからず」(出典:洒落本・跖婦人伝(1753))
  6. 歌舞伎・浄瑠璃で、戯曲の背景となる特定の時代・所・人物群の類型。「義経記の世界」「東山の世界」。
    1. [初出の実例]「まづ世界(セケヘ)が曾我で、虎、少将、月小夜と三役の早変を出しやした」(出典:滑稽本・戯場粋言幕の外(1806)上)
  7. 同一種類のものの集まり。職業、世代、専門分野などで、ある種の共通点をもつ人が形成する社会。また、共通性をもつ動物が形成する社会。「政治の世界」「子どもの世界」「魚の世界」
  8. 文学、演劇、美術、音楽などで、ある創作物が作りあげている、全体の場。また、創作者が作り上げている全体を観念的にとらえたもの。「源氏物語の世界」「ピカソの世界」
  9. 自分が得意とする分野。自由にふるまえる範囲。
    1. [初出の実例]「是からはおいらがせかいだ」(出典:黄表紙・心学早染艸(1790)下)
  10. ( [英語] world [ドイツ語] Welt の訳語 ) 哲学で、同一の空間、時間内に存在し、相互作用によって結びつけられているすべての事物や過程を含む全体。宇宙。認識論では、客観的感性界、概念的に構成された機械的世界、心理的世界、直接体験の世界などを含む全体。〔哲学字彙(1881)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「世界」の意味・わかりやすい解説

世界(the world)
せかい
the world

もっとも広義にとれば、世界は天地・宇宙universe,cosmosに及び、狭義には人間の社会、世間をさしている。人間活動は、物理的存在である地球the globe,earthの地表面の上に営まれている。世界は、その全域あるいは広い部分に関して、世界誌・世界史などがかかわる空間的存在である。世界はまた、さまざまな主観・哲学に基づく世界観によって考察される。世界の「世」は過去・現在・未来を、「界」は天地・東西南北を意味し、世界が歴史的過程によって生まれた地球空間的存在であることを表している。

[木内信藏]

世界の発見と世界観の変化

世界は坤輿(こんよ)(大地)、宇内(うだい)(天の下)ともよばれ、その形態は人々が自分の住む周囲の自然から学んで構想したものである。初めは狭い地方に限定され、のちには全地球に及び、正確さを加えてきた。

 古代インド人が想像した世界は、中央に須弥山(しゅみせん)がそびえ、その南に大洋があり、海には閻浮提(えんぶだい)、南瞻部州(なんせんぶしゅう)とよぶ島が浮かんでいる。大陸といってもよい島の中央には無熱悩池とよぶ湖水があり、その周りには大雪山などの山地がたち、湖水からは4本の川が流れ出ている。これらはガンジス、インダス、アムダリヤ、タリム各川を示すものと考えられる。この概念的な世界像は、仏教とともに中国を経て日本にも紹介された。

 紀元前6世紀にピタゴラス学派が地球球体説を証明する以前の古代ギリシア人が描いた世界は、円盤状の陸地が円穹(えんきゅう)の空を頂き、周囲はオケアノスとよぶ海洋によって囲まれていた。エーゲ海を中心に活躍した古代ギリシア人の世界は、アジア、ヨーロッパ、リビア(アフリカ)の各一部から成り立っていた。のちには、その範囲がインド、地中海全域に拡大され、海陸の形が整えられた。その資料は、古代ギリシア人の貿易・植民活動やアレクサンドロス大王の東方遠征などによって得たものであった。

 エラトステネスによる地球の円周の測定が行われたのは、紀元前200年余のことであった。ギリシア人は、北半球のユーラシア大陸に対して南半球にもこれと対蹠(たいしょ)する大陸があるものと想定して、これをテラ・アウストラリス・インコグニタTerra Australis Incognita(未知の南方の大陸)とよんだ。この想像の大陸、すなわちオーストラリア大陸がヨーロッパ人に発見されたのは17世紀の初めであった。古代ローマ帝国はほぼEC(ヨーロッパ共同体)の範囲を領土とし、ストラボンプトレマイオスなどの地理書および地図が著され、支配領域の世界についての知識が充実した。

 中世のヨーロッパ世界は、キリスト教の強い支配下にあって、地球観は禁圧され、かわって航海・貿易に活躍したアラビア人、イタリア人などが正確な世界知識の担い手となった。

 チンギス・ハン(成吉思汗(ジンギスカン))の征服は東西の世界に橋を渡した。マルコ・ポーロは元(げん)の首都(上都)より南の成都など各地を訪れて、見学や聞き取りに基づいて『東方見聞録』を著し、東アジアの知識を広めた。世界についての興味と航海術の進歩に支えられて、海洋の探検と陸地の発見が相次いで行われた。コロンブスのアメリカ大陸到達に至る13世紀から15世紀までには、放射状に方位線を描いたボルトラノ型の海図やアフリカの形がより正確になったマルテルス作の世界図などが描かれた。16世紀に入ると、バスコ・ダ・ガマのアフリカ南端周航、マジェランの世界周航など多くの成果があり、南北アメリカを加えた世界図はいっそう充実をみた。

 18世紀は科学的探検の時代であった。クックの調査をはじめ、地形・地質、生物、民族などにわたる知識の集積と解明が進んだ。精密な地図・海図などの作成のために、主要国は測量部、水路部、地質調査所あるいは地理院を設けて組織的な調査を始めた。

 アジアの東縁にある島国日本が世界を知ったのは、はるかに新しいことであった。朝鮮半島、中国大陸、南洋諸島との交流は有史前からも行われていた。唐(から)・天竺(てんじく)の文物に対する興味は深かった。しかし世界図を知ったのは、17世紀初めの北京(ペキン)に来朝していたマテオ・リッチ(利瑪竇(りまとう))の『坤輿(こんよ)万国全図』によってであった。海外活動も一時期盛んであったが、鎖国によって閉じられた。しかし18世紀後半から19世紀前半にかけて蘭学(らんがく)の隆盛をみ、オランダ語を通じて海外の知識がもたらされた。朽木昌綱(くつきまさつな)の『泰西輿地図説(たいせいよちずせつ)』(1789)、山村才助の『訂正増訳采覧(さいらん)異聞』(1803)、箕作(みつくり)省吾の『坤輿図識』(1845)、杉田玄端(げんたん)の『地学正宗』(1850)などはその成果である。これら蘭学の普及により、海外の知識は為政者・学者の間に広まるに至った。幕末になって世界との交流が開かれ、伊能忠敬(ただたか)、高橋景保(かげやす)、間宮林蔵などによる地図作製も行われた。明治になると福沢諭吉(ゆきち)の『西洋事情』(1866~1870)などが著された。

[木内信藏]

世界の自然

人類の活動舞台は世界の大陸・島嶼(とうしょ)と海洋とである。五大州とよばれた大陸continentsは、地球表面積5億0994万9000平方キロメートルのうち29.2%(1億4889万平方キロメートル)を占めるにすぎない。残る70.8%を海洋が占めている。大陸のうち、アジアが30%を占めてもっとも大きく、続いてアフリカ(20%)、北・中央アメリカ(16%)、南アメリカ(12%)、南極大陸(9%)、ヨーロッパ(7%)、オーストラリア(オセアニアの島々を含めて6%)である。大陸の多くは北を底辺として南にとがった三角形を示し、その分布は北半球に偏っている。したがって陸地と海洋の比は、北半球で39対61であるのに対して、南半球では29対71である。以上の海陸の形状は気候帯とも関係して、人類の活動にも影響をもっている。

 ユーラシア(ヨーロッパおよびアジア)大陸は、パミール高原を中心に東方に掌状に広がって走るヒマラヤ山系の高峻(こうしゅん)な山地と、西方に延びてピレネー、アトラス(北アフリカ)に続くアルプス山系によって南北の世界に分けられている。アジアにおいては中国とインドとが隔てられ、ヨーロッパにおいては、大略してラテン地域とゲルマン地域とが区分される。アジアの共通性はモンスーンであって、温帯モンスーンと熱帯モンスーンの風土にそれぞれ中国文化とインド文化が育った。ヨーロッパは、ゲッケイジュによって代表される地中海地域と、冷温で雨の多い混合林帯とが対照され、農耕生活においても著しい差がある。

 ユーラシアの内陸は海から遠く、ヒマラヤ山系の諸山地の障壁があって、内陸アジアは乾燥しており、またインダス川以西のアジアは雨の少ない地域である。乾燥地を流れる外来河川(環境条件の異なる他地域の水源に由来する川)に沿うナイル三角州、メソポタミア平野、インダス上流平野、黄河中流平野が、古代文明の発生地となった。しかしアマゾン、コンゴ(ザイール)、ミシシッピ、ラ・プラタ、レナ、エニセイなどの例に示されるように、すべての大河川が文明の揺籃(ようらん)となったわけではない。大河は技術と管理が進まないと治水も利用もむずかしい。山麓(さんろく)のオアシスや小河川がまず利用され、そこに居住地が生まれた。オアシスを結ぶ山麓の通路が、アジアとヨーロッパを結ぶ絹の道として利用された。

 海洋の利用は船舶と航海技術の進歩によっている。初めは沿岸航路、内海航路が開かれ、海上交通には列島や避難港、季節的な風、潮流などの関係が利用された。未知の海洋は、暗黒の大陸や密林、極地とともに探検の場であった。海洋の広さを比べると、太平洋(全海洋の46%)、大西洋(23%)、インド洋(20%)、北極海(4%)の順で、そのほかに地中海(ヨーロッパ地中海など5%)、縁海(日本海など2%)がある。

 今日ではほとんど全世界の海が漁場となり、海底資源の探査が進み、また海外資源および商品の輸送路となっている。公海は広く人類に開かれた空間であり、世界を結ぶ役割をつとめている。しかし沿岸国の利益が重視されて、領土に接する12海里が領海となり、200海里の経済水域が認められた条約が、1982年12月の海洋法国際会議で成立した。また、海洋の汚染も進んでいる。このような現状は、世界の海洋が人類の発展に寄与する積極的な意味が後退してきたことを意味しており、残念なことである。

[木内信藏]

大陸的世界と海洋的世界

かつて大陸的世界を支配したのは古代ローマと中国であった。ローマ人は地中海を「われわれの海」とよび、北アフリカ、西アジアにも発展したことから単純な大陸国ではないが、アルプスを越えてイングランド南部に至る発展を遂げ、ローマの軍道をつくり、城塞(じょうさい)都市を営み、当時は未開化の北方のノルマンや東方のゲルマンに対抗していた。このとき普及したのがプトレマイオスの地図で、一種の円錐(えんすい)図法を用い、経緯線を描いていた。中国は肥沃(ひよく)な黄河流域に農耕生活を営んで長江(揚子江(ようすこう))流域に広がり、内陸へとエクメネ(可住空間)を拡張した。周辺にある後進民族(東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、北狄(ほくてき)、南蛮(なんばん))を排除し、あるいは同化して、隋(ずい)・唐(とう)代には北はほぼ長城の線に沿ってタリム盆地の東縁まで、南は現在のベトナム北部までを領域とした。

 現在、国土・人口が多く資源にも富んでいるのは旧ソ連地域、アメリカ合衆国であり、それらの条件の一部を欠くが準大陸国といえるのはインド、オーストラリア、ブラジルなどである。19世紀イギリスの政治地理学者マッキンダーは「ハートランド説」を唱え、大陸を制するものが世界を制すると主張した。世界のハートランドのなかで、彼が期待しているのはユーラシア北部の内陸であった。

 海洋的世界は古代のエーゲ海、地中海に始まり、北海を挟むノルマン、スペイン、ポルトガル、イギリス、フランスの活躍する時代を経て、大西洋時代あるいはヨーロッパとアメリカを結ぶ時代に至った。ヨーロッパ列強のアフリカ、アジアにおける植民地経営も主として海上からの到達によって行われた。ヨーロッパを中心とし海洋を媒体とした世界構成は、第一次世界大戦後にはアメリカ合衆国に重心を移し、第二次大戦後にはアジアとオセアニアを接する太平洋の役割が大きくなった。第一次大戦のパリ講和会議のとき準備された資料を基にアメリカ地理学協会のバウマンは『新しい世界』(“The New World,Problems in Political Geography”,1921,World Book Co.,N.Y.)を著し、アメリカの地政学的転機を予測した。今日は科学技術の発達、国際経済の発展によって海洋の役割はますます重要さを加えている。シベリア開発に力を注ぐ大陸国ソ連も、海軍力、海洋調査の充実にアメリカと競った。海に囲まれた工業国である日本が海洋にかける期待はいずれの国にもまして大きい。

 大陸的世界観と海洋的世界観は、優劣や二者択一の価値観の問題ではない。その国の置かれた地理的位置、歴史的条件、社会経済の発達のもとで、もっとも賢明に、総合的に考えるべき課題である。

[木内信藏]

先進国と発展途上国

世界には約70億の人々が住み、多くの民族に分かれ、それぞれ特色のある国家を建て、社会生活を営んでいる。それらは大きく二つのグループに分類できる。一つは発展途上国(あるいは後進地域)であり、他は先進国(先進地域)である。発展途上国は熱帯および亜熱帯を占め、そこにほぼ東西のベルトをなして並んでいる。すなわち、東南アジアに始まってインド亜大陸、イラン、トルコ、アラブ諸国、アフリカに及び、アメリカ大陸ではメキシコ以南、ペルー、ブラジルに及んでいる。主として農業国、一次生産品の国々で、国民生産力はなお小さく、国民1人当り所得は少ない。人口増加率は大きく、国民の識字率は低い。

 これに対して、日本、ヨーロッパ諸国、北アメリカ(合衆国およびカナダ)は先進国グループとしてまとめられる。これらは主として温帯・冷帯に位置し、工業化が進み、国民生産力および1人当り所得は大きく、教育が普及している。発展途上国のベルトを挟んで、南半球には、ヨーロッパ人の移民によって建国されたオーストラリア、ニュージーランドなどがある。

 先進国と途上国の中間域には、朝鮮半島、中国、シンガポール、メキシコ、ベネズエラ、アルゼンチン、チリなどの中進国・地域がある。

 主として北半球にある先進国と南に並ぶ途上国との位置関係から、二つのグループの比較、経済的援助などが南北問題として取り上げられている。南北の差異をもたらしたものは何か。19世紀以前の植民地関係か、社会的なアンバランスや民族的、宗教的な構造であるのか、あるいは経済発展の段階であって、やがては後進性を脱して離陸するのか。それらの関係を明らかにして初めて効果のある援助ができ、世界の一元化に進むことができる。

[木内信藏]

多元的世界より一元的世界へ

世界には、すべての人間が唯一の地球から生まれたとする四海同胞の考えがあるとともに、その部分世界をさすさまざまな次元の概念がある。旧世界(アジア、ヨーロッパ、アフリカ)と新世界(アメリカ、オセアニア)は歴史の新旧から区別され、またその間の文化、民族、社会の違いによって、東洋と西洋、イスラム世界、ラテンアメリカ圏などがあって、世界は多種多様な、また大小の部分世界から成立している。そのほかにも、動植物の分布に基づく区界や気候区があって、これらが人間の生活ともかかわり合っている。

 現生の人類は、ただ1種にまとめうる生物ホモ・サピエンスであって、共通する肉体的な形質と他の生物にはない文化をもっている。植物40万種、動物100万種を数える人間以外の生物は、地球上の環境が異なるにしたがって生活領域を分けており、極地に住む生物は暑熱の地には住みえない。しかし人間の場合は、北極圏に住むイヌイットもアマゾンの雨林に生活するアメリカ先住民も系統は同じく、また日本人とインド人は、人種こそ分類されているが人間としての共通性をもち、社会生活を営んでいる。外界の変化に対する適応は、人間のくふうと技術によっている。それらは交流し、進歩することができる。人類同種と人知とは一元的な世界観の基礎である。

 人種は皮膚の色調によって差別の対象にされやすかったが、日照の強弱、栄養などの環境の差によるところが大きい。環境に適応し、人間関係を調整するのは、文化・社会の役割であり、民族はその伝統と居住地域とによって固有なジャンル・ド・ビーgenre de vie(フランス語、生活様式)をもっている。たとえば、夏に湿潤なモンスーン・アジアにおいては稲作社会を育て、農民は傾斜のある屋根をもつ木造家屋に住まう。それに対して内陸アジアの乾燥地では平屋根の家屋に住み、畑作で生計をたて、さらに乾燥が著しい草地では遊牧のテント生活となる。各地の住民は、それぞれの環境のもとに、水利の秩序、畑の輪換、あるいは草地の保全の規律をつくった。

 生活様式の違いをもつ部分世界を結合するのは、境界に発達する市場であった。平和的な共存が交換によって保たれるほかに、まれではあるが干魃(かんばつ)などの自然変異、戦乱などがあって、侵略や破壊がおこり、統一・支配や新しい秩序の成立があって、世界は融合の機会を得てきた。同様なことは海洋国家と大陸国家との関係にもおこる。そのプロセスによって、地方的社会が世界化への方向を進めた。しかし現代では巨大な資本、発達する科学技術、強力な指導と管理が世界化の柱になりうる。一方、これらの過熱や強権に対抗する地方的な力の拮抗(きっこう)もあり、地方の見直しや多様性に価値をみいだす動きもあって、唯一の世界にはなお道が遠い。

 世界を分断している要素の一つに言語がある。それは国家の境を撤去しても残り、言語は他の文化・社会の固有性と深く結び付いている。世界の言語は約3500と数えられる。インド亜大陸には大きな分類を選んでも、ベンガル語、ビハール諸語、パンジャーブ語などのインド・ヨーロッパ語族の諸言語と、ドラビダ語の使用地域とが分かれている。また現代の世界は、ギリシア・ローマの古典に根ざし、キリスト教の洗礼を受け、科学技術を発達させたヨーロッパ文化を主流としているが、また漢字文化にたつ東アジア文化、コーランの教えを則(のり)とするイスラム文化の世界的な影響力を無視できない。

[木内信藏]

エクメネの拡大

エクメネは、人口の増加と文化の進歩に伴って拡大されてきた。今日では、世界地図の陸上に人跡未踏の土地はほとんどなくなったが、なお周年永住できないアネクメネ(不可住空間)は広く残されている。

 人々は森林を焼き、海辺や湿地を干拓し、乾燥地に水を引くなどして農地を広げ、あるいは灌漑(かんがい)、施肥、品種改良などによって、荒れ地を豊かな耕地に変えてきた。

 一方、急激な人口増加と近年の生活水準の向上、工業化によって、食糧と資源の需要が増大し、エクメネの拡張を求められている。なお熱帯地方に主として行われる焼畑、森林の過伐、乾燥地の無方針な開墾などが自然のバランスを失わせ、土地の生産力を奪う結果となった地方も多い。アメリカ西部、内陸アジア、アフリカ中部などの砂漠化は、気候の変動と人間の過剰な期待が生産力の低下を招いた厳しい事例である。エクメネの拡張はかならずしも大きく進行はしていない。

 この展望からも、われわれ地球の子は、限られた土地や水面をだいじに使用することが必要である。広く正しい世界の展望と人間愛とに基づいて、初めてエクメネの拡大と平和な世界が実現する。

[木内信藏]

『木内信藏編『文化地理学』(『朝倉地理学講座8』1970・朝倉書店)』『木内信藏編『政治地理学』(『朝倉地理学講座12』1968・朝倉書店)』『織田武雄著『地図の歴史』(1973・講談社)』『C・O・サウアー著、竹内常行・斉藤晃吉訳『農業の起源』(1960・古今書院)』『中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)』『北村甫編『世界の言語』(『講座 言語6』1981・大修館書店)』『E・エバンズ・プリチャード総監修、梅棹忠夫日本版総監修『世界の民族』全20巻(1978~80・平凡社)』『斎藤優編『南北問題――開発と平和の政治経済学』(1982・有斐閣)』『John C.Bartholomew and others ed.Concise Atlas of The World(1975, The Times Newspapers Ltd.and John Bartholomew & Son Ltd.,London)』


世界(雑誌)
せかい

岩波書店が1946年(昭和21)1月に創刊した総合雑誌。当初、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)、志賀直哉(なおや)、安倍能成(あべよししげ)らの同心会が編集に参与したが、のちに独立。初代編集長は吉野源三郎(げんざぶろう)。1951年の対日講和条約では全面講和を主張、1960年の安保改定時、改定に反対して請願権の行使を訴え、広く市民に影響を与えた例にみられるように、知識人を組織し、憲法擁護の立場で、精力的に言論活動を展開している。金大中(きんだいちゅう)事件の起こった1973年8月に発売された同誌9月号には金大中が寄稿していることからもわかるように、韓国問題にいち早く関心を示し、T・K生(本名は宗教哲学者の池明観(ちめいかん/チミョングァン)。1924―2022)の『韓国からの通信』は同年5月号より連載され、1988年3月号まで続いた。情報を広く世界に求め、平和と民主主義を基調にするという雑誌の基本的な性格は1970年代以後も堅持され、日韓関係の改善、冷戦の克服、1990年代にはソ連邦解体後のポスト冷戦の時代に国際社会のなかで日本はいかに生きるべきか、また教育問題などにも持続的に問題提起している。2001年(平成13)、歴史教科書問題による日本とアジア諸国間の摩擦に際しては、別冊『歴史教科書問題 未来への回答』(2001年12月号)で東アジア共通の歴史観の可能性を特集している。また、創刊当初より文学の方面でも、志賀直哉、太宰治(だざいおさむ)、野上弥生子(やえこ)、川端康成(やすなり)、安部公房(こうぼう)、伊藤整(せい)、大江健三郎、吉村昭(あきら)らが話題作を執筆している。

[京谷秀夫・田中夏美]

『『世界』主要論文選編集委員会編『「世界」主要論文選1946―1995 戦後50年の現実と日本の選択』(1995・岩波書店)』『『世界 総目次1946―1995』(別冊『世界』、1996)』

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改訂新版 世界大百科事典 「世界」の意味・わかりやすい解説

世界 (せかい)

もと仏教の術語で,生物が生存し輪廻する空間を意味する。サンスクリットのローカダートゥlokadhātuの訳。ローカlokaは空間を意味しダートゥdhātuは層stratumを意味する。lokaは語根ルチruc-〈光る〉と関係し,もともと〈林開地〉,したがって〈あき地〉の意であった。ラテン語のルケオluceo〈光る〉,ルクスlucus〈森〉と同じ関係である。サンスクリットのlokaには必ずしも〈時間〉の意味はないが,その漢訳語〈世〉にはそれがある。したがって漢訳語によれば〈世界〉は宇宙を時間(世)と空間(界)の両面からとらえたものということができる。インドの仏教教学でも〈世界〉の項目下に〈時間〉(アドバンadhvan)や世界の消滅が論じられているから,サンスクリットの〈世界〉にも時間の概念が含まれていると考えてよいだろう。《楞厳(りようごん)経》巻四には〈東・西・南・北・東南・西南・東北・西北・上・下を界となし,過去・未来・現在を世となす〉とある。
執筆者: なお,仏教用語であった〈世界〉は,やがて〈世の中〉〈世間〉を意味する詩語として中国の唐詩に多く使用され,日本においても《竹取物語》などにその用例がみられる。江戸時代になって,当時の世界地図をもとにした〈世界図屛風〉が巷間に流布したが,この〈世界〉は,地球,万国の意である。1867年初版のヘボンの《和英語林集成》には,これを踏襲して地球,万国の意として〈世界〉の語がみえる。そして井上哲次郎らの編集した《哲学字彙》(3版,1912)は,world,cosmosの訳語に〈宇宙〉とともに〈世界〉をもあてている。
宇宙 →世界観
執筆者:


世界 (せかい)

歌舞伎,人形浄瑠璃劇作用語。作品の背景となる時代,事件をさす概念。実際にはその中の登場人物の役名,それらの人物の基本的性格(役柄),人物相互の関係,基本的な筋,脚色さるべき基本的な局面や展開などまでを含む概念である。主として,江戸時代の人々に周知の通俗日本史や伝承などを基礎として成立しているが,原拠や原典そのものをさすのではなく,中世芸能をはじめ先行の歌舞伎や人形浄瑠璃でくりかえし脚色上演されてきた中で形成された類型的な内容を持つ。したがって個々の〈世界〉は恒久不変的なものでなく,時代的な流行もあり,類型の形成により新生し名目のみ残り使用されなくもなる。作者は役者や観客に共通の知識となっている〈世界〉の上に新しく案出した〈趣向〉を脚色したり,複数の〈世界〉を混合したりして作品を作る。〈世界〉の用語は1757年(宝暦7)7月江戸中村座の役割番付の小名題に〈仕組〉や〈趣向〉とともに記されており,すでに劇作用語として成立している。69年(明和6)刊《根無草後編》には江戸の芝居の年中行事としての〈世界定め〉の語も見られるが,当期の京坂の歌舞伎,浄瑠璃の文献に見当たらず,《世界綱目》後記の筆写経路にも京坂の作者名が見られないことから,〈世界〉の用語や概念は江戸時代中期の江戸歌舞伎界での成立と見られる。《戯財録》には〈世界〉と〈趣向〉に関する著名な説が見えている。中期以後,黄表紙などの戯作文学にもほぼ同義の用語として使用されるようになった。
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世界 (せかい)

岩波書店発行の月刊総合雑誌。第2次大戦の敗戦直後,岩波茂雄は,戦争への反省から,国民の間に批判精神を培う月刊雑誌の必要を痛感し,友人安倍能成らのすすめもあって,1946年1月創刊した。初代編集長吉野源三郎は,占領下,アメリカ一辺倒になりがちな情報をひろく世界にもとめ,平和と民主主義を基調とするこの雑誌の性格を確立した。とくに国論を二分した講和問題については,平和問題談話会メンバーをはじめ,あげて全面講和論を展開,非常な反響を呼んだ。以降,60年安保,日中復交,ベトナム戦争,沖縄復帰,憲法問題,金大中事件等々,現代日本の主要問題を持続的に追求しており,その一貫性ある編集が,特色をなしている。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「世界」の解説

世界
せかい

1946年(昭和21)1月創刊の岩波書店の月刊総合雑誌。戦争への反省に立って,岩波茂雄が安倍能成(よししげ)・吉野源三郎らと創刊。平和と民主主義を基調として,時局の問題を長期的・世界的視野からとらえる編集方針で,51年全面講和論,60年安保改定反対論を展開したほか,日中復交・ベトナム戦争・沖縄復帰・金大中事件など現代日本の主要な問題を特集。小説でも野上弥生子・安部公房・堀田善衛・伊藤整などの問題作が掲載された。

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普及版 字通 「世界」の読み・字形・画数・意味

【世界】せかい

この世。

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デジタル大辞泉プラス 「世界」の解説

世界

日本の総合雑誌のひとつ。1946年1月創刊。岩波書店刊。初代編集長は吉野源三郎。

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世界大百科事典(旧版)内の世界の言及

【顔見世】より


[顔見世狂言]
 江戸・京坂において〈顔見世〉興行に演じた特殊な狂言をとくに〈顔見世狂言〉という。江戸では9月12日にその座の立作者の原案にもとづき〈世界定〉が行われた。〈世界〉とは,狂言の背景をなす時代をいい,顔見世狂言には〈御位(みくらい)争いの世界〉(業平,行平),〈前太平記の世界〉(頼光四天王),〈奥州攻めの世界〉(八幡太郎,貞任),〈鉢木の世界〉(鎌倉時代),〈東山の世界〉(不破,名古屋),〈出世奴の世界〉(秀吉)などで,その一つが選定されて脚色される。…

【歌舞伎】より

女方の写実的な演技術が模索されるとともに,立役,敵役その他の役柄がしだいに成立して,それぞれの演技のくふうが進む。寛文年間(1661‐73)には〈続狂言〉が成立し,これ以前の風俗スケッチ的寸劇から,一定のストーリーを持った劇的世界を獲得するに至る。劇の進行に時間的な飛躍を示す記号としての引幕が用いられるようになり,複雑な筋の展開を可能にした。…

【時代物】より

…人形浄瑠璃,歌舞伎狂言の分類の一つ。江戸時代よりも古い時代のさまざまな事件を題材に扱って仕組みの骨格(〈世界〉)とし,人物の名も歴史上知られている名をそのまま(あるいは一部をもじって)使う狂言である。当代の市井町人社会を題材とする世話物に対して,公卿や武家の社会を扱うが,時代物でも世話の場面が含まれるのが通例。…

【岩波書店[株]】より

…しかし昭和10年代は言論統制がきびしくなり,山田盛太郎,矢内原忠雄,津田左右吉らの著書は発禁,押収処分を受け,出版社側も苦難の道を歩むこととなる。第2次世界大戦後,46年に発刊された月刊誌《世界》は,吉野源三郎を初代編集長とし,憲法擁護,民主主義,平和の立場を貫き,論壇でも指導的地位に立っている。また《現代叢書》を刊行し,児童文学の分野にも進出,戦前からの科学書とあわせ数多くのロングセラーを生み出した。…

【総合雑誌】より

…《中央公論》(1887年創刊の《反省会雑誌》が99年に改題)の編集長滝田樗陰(ちよいん)は,吉野作造を起用して民本主義の論説評論を連打するとともに若い作家群を発掘して魅力を加えた。山本実彦(さねひこ)が経営した《改造》(1919)はマルクス主義やアインシュタインの相対性原理など世界の新しい思想動向を特集することによって青年の関心をリードした。両誌の発行社はそれぞれに女性むけの総合雑誌《婦人公論》(1916),《女性改造》(1922)を刊行して成功するほどに,知的な雑誌は第1次大戦後の革新の風潮ととけあっていた。…

※「世界」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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