用語としては古くよりあったが,1886年にパリで上演された風俗喜劇《ファン・ド・シエクル(世紀末)》の大当りがきっかけとなって広く口にされるようになり,以後,19世紀末ヨーロッパの時代思潮にみられるさまざまな特徴を総称して用いられる語。一般に時代の転換期に特有の文化的形態や現象,とりわけ終末の兆候なり意識なりを指していわれ,デカダンスやスノビズム,退廃趣味や懐疑主義などと同じ意味合いで用いられるが,概念や用法において必ずしも一致しない。またその特徴とされるものは,もちろん世紀の終りに至って突如として生じたわけではなく,19世紀を通じて潜在的な気分としてあったものが一挙に表面化したと考えられる。
1880年代のヨーロッパはビクトリア朝の大英帝国,植民地拡大政策をとり成功させたフランス,ビスマルク指導下のドイツ帝国に示されているように,外的には国力の頂点に達していた。電信や電話の実用化や汽車,汽船,自動車の改良のほか,おびただしい発明・発見があいつぎ,飛躍的に成長した産業力を背景に,各国が大々的な首都改造に取り組むとともに,都市は急速に膨張し,社会はめざましい変化にさらされていた。このような状況の中で,一方には依然として人間社会の進歩・発展を信じる根強いオプティミズムが支配的であったが,しかし同時に他方では,19世紀の精神界に底流としてあったいくつかの傾き,たとえば,バイロンやハイネ,ミュッセ,レオパルディなどのロマン主義における〈世界苦〉の思想と文明へのペシミスティックな懐疑,あるいはポーやボードレールに典型をみた俗流市民モラルへの嫌悪・反発とみずからをそれから区別するダンディズム,さらにはニーチェがワーグナーの音楽の中にみた官能的陶酔への意志といったものが,急速に人々をとらえていった。
より具体的には,文学におけるユイスマンスの《さかしま》(1884)やO.ワイルドの《ドリアン・グレーの肖像》(1891)などの主人公がモデルといえる。ともに感覚と神経が敏感で,洗練性,優雅さ,並外れていることに熱中し,たえず精妙な審美的刺激を求め,人工楽園じみた夢想の世界に閉じこもりたがるのである。このような性向は同時代の詩人や作家,たとえばイタリア人ダンヌンツィオや,〈若きウィーン派〉と称されたホフマンスタールやシュニッツラーなどの作品にも一貫している。そしてフランスにおいてはブールジェ,A.フランス,マラルメ,若いA.ジッド,またベルギーのメーテルリンクなどの文学にとって大きな要素となったものである。広い意味では,まさしくこのような世紀末型の人間類型の登場を,T.マンが一族の没落の歴史《ブデンブローク家の人々》(1901)をかりて詳細に跡づけ,S.フロイトが《夢判断》(1900)で精神分析を通じて診断したといえるだろう。この点,同じ時代がドイルの〈シャーロック・ホームズ・シリーズ〉に代表される推理小説という文学ジャンルを,またスティーブンソンの《宝島》(1883)などの冒険小説を生み出したのも無関係ではない。いずれも知性の人工楽園にとじこもるためにうってつけの文学であり,人工的な刺激を求める都市人間の求めに応じたものである。
造形芸術に目を転じるとき,象徴性の高い絵画がほぼ同時期に出現していることに気がつく。フランスの画家G.モローやルドン,ベルギーのアンソール,ノルウェーのムンク,イギリスの挿絵画家ビアズリー,ドイツのシュトゥックやベックリン,オーストリアのクリムトなどの作品である。これらの画家たちは一様にサロメ像を描いた。またニンフや牧神やメドゥーサをとりあげ,幻想的な雰囲気をたたえたエキゾティックな意匠を好んだ。それはある意味では,世紀末をまって実現した情報化社会の所産であろう。というのは,19世紀の後半から80年代にかけて,ヨーロッパの国々は豊かな国力を競うかのように,巨大な博物館や美術館を次々に建て,整備していった。かてて加えて印刷技術の発達にともなう新聞・雑誌の拡大があり,その結果,いながらにして遠い過去やはるかな遠方の国々を知ることができるようになった。膨大な美的イメージの貯蔵庫が実現したわけで,世紀末は複製技術時代の到来にひとしく,このとき世界は初めてコピー文化に立ち入ったとみなせるのである。とともに世紀末の芸術が文学ともども,神話的なイメージを借りてファム・ファタルfemme fatale(宿命の女)としての女性観をモティーフとし,エロスの表象,性愛や堕罪のテーマを象徴主義の手法で描き出そうとしたことを忘れてはならない。それは19世紀ブルジョア社会の形成につかず離れず従ってきた偽善的な市民モラルと対立する。小市民的な道徳律が押し隠してきたエロスと性愛の問題を伝えるものであって,世紀末がとりわけ性意識の点で,ヨーロッパの歴史にかつてなかった変化と転換とにさらされていたことを示している。
社会的には女性解放のうねり,犯罪や自殺者の増加,神秘思想やオカルト思想の流行のなかで,ノルダウMax Nordau(1849-1923)の《退化》(1892-93)など,旧来の進化思想と反対のペシミスティックな文明論があらわれた。これはのちにシュペングラーの《西洋の没落》に集約されていったものであるが,このような時代思潮のなかでは,世紀末は古いものの終り,つまりは崩壊のプロセスといえよう。しかし同時に,この同じ世紀末は新しいものの始まりをも意味していた。退廃と衰滅意識の一方で,96年に開始された第1回オリンピック大会や,ヘディンのアジア・チベット旅行とか同時期の南極・北極探検の始まりなどにみられるように,生への活力(バイタリズムvitalism)にあこがれ,未知の世界への冒険が始まった時代でもある。それは当然,新しい世代による文化更新の試みを含んでいた。90年代に流行したアール・ヌーボー(新しい芸術)は,ひとりヨーロッパにとどまらずアメリカから日本まで風靡したが,それが一名ユーゲントシュティール(青春様式)とよばれたのもこの間の消息を伝えるものである。ともあれゴーギャンはタヒチ島に渡り,ゴッホは片田舎のアルルで制作した。セガンティーニはアルプスに住みつき,フランスのポンタベンやドイツのウォルプスウェーデといった辺境に芸術家コロニーがつくられた。この種の反文明・反都市の生き方は,都市文明・技術時代の到来に対する不安や恐れを示すとともに,危機に瀕した時代性の克服の試みでもあっただろう。世紀末世代の内的状態を示す一例である。
→象徴主義 →デカダン派
執筆者:池内 紀
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…用語としては古くよりあったが,1886年にパリで上演された風俗喜劇《ファン・ド・シエクル(世紀末)》の大当りがきっかけとなって広く口にされるようになり,以後,19世紀末ヨーロッパの時代思潮にみられるさまざまな特徴を総称して用いられる語。一般に時代の転換期に特有の文化的形態や現象,とりわけ終末の兆候なり意識なりを指していわれ,デカダンスやスノビズム,退廃趣味や懐疑主義などと同じ意味合いで用いられるが,概念や用法において必ずしも一致しない。…
…第2次ポエニ戦争(前218‐前201)を契機に到来したローマ人は,現在大聖堂と旧市街地区がある標高13mの小高い丘に町を建設し,当時はバルキノBarcinoと呼ばれていた。3世紀後半になるとゲルマン民族の一団が侵入して来たために,同世紀末から4世紀初頭にかけて住民は市壁を巡らせ防戦した。ローマ時代に住民の大多数はキリスト教に改宗し,4世紀には最初の大聖堂が完成した。…
※「世紀末」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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