中城(村)(読み)なかぐすく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中城(村)」の意味・わかりやすい解説

中城(村)
なかぐすく

沖縄県中頭郡(なかがみぐん)にある村。沖縄本島中部の中城湾に面する。1946年(昭和21)北中城村本村から分離。海岸一帯は平坦(へいたん)な沖積低地で、その背後は丘陵地域。国道329号が低地と丘陵地の間の村落を縫って縦貫する。15世紀中城城築城した按司(あんじ)の護佐丸(ごさまる)は屋宜(やぎ)の港を貿易港として、日本との貿易を行った。海辺の散村状の集落は、近代発生の低湿地開拓集落である。第二次世界大戦前から純農村。また、ハワイ、南アメリカへの移民が多いことでも知られる。近年はサトウキビを中心に島ニンジンなどの野菜類、花卉(かき)栽培が盛ん。那覇(なは)市首里にあった琉球大学(りゅうきゅうだいがく)が1977年から1984年にかけて同村と西原(にしはら)町に移転。中城城跡は国指定史跡で2000年(平成12)「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」として世界遺産(文化遺産)に登録された。中国からの帰化人が伝えたという民俗芸能「伊集(いじゅ)の打花鼓(ターファークー)」が残されている。面積15.53平方キロメートル、人口2万2157(2020)。

堂前亮平]


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改訂新版 世界大百科事典 「中城(村)」の意味・わかりやすい解説

中城[村] (なかぐすく)

沖縄県中頭(なかがみ)郡に属し,西は宜野湾(ぎのわん)市,東は中城湾。人口1万7680(2010)。海岸沿いの肥沃な沖積低地と背後の丘陵地からなる。第一尚氏王統の尚泰久時代(1454-60)に忠臣護佐丸が与勝(よかつ)半島の勝連(かつれん)城に拠る阿麻和利への抑えとして配され,北部台地上に中城城を築城ないし増築した。だが阿麻和利は逆に讒訴(ざんそ)して討手となり中城城を攻撃,護佐丸は一矢も報いず自刃した。その後,首里攻撃を計画した阿麻和利は結局滅ぼされた。中城は第二尚氏時代には現在の北中城村とともに中城間切(まぎり)に属し,稲作を主とした。尚清(4代)が王子時代に中城を領し,尚質(10代)以後世子は中城王子と称された。

 第2次世界大戦前はハワイ,南アメリカへの移民を多く出した。現在はサトウキビを基幹作物とし,野菜・花卉栽培が行われ,漁港もある。北端の久場(くば)の海沿いには石油精製基地をはじめ,製糖や製紙の工場がある。中城城跡(史)は多郭式で六つの優美堅固な城郭からなり,沖縄の城跡中最もよく原形をとどめている。現在は城跡公園となっていて,東に中城湾,西に東シナ海を望める。沖縄自動車道インターチェンジがある。
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普及版 字通 「中城(村)」の読み・字形・画数・意味

【中城】ちゆうじよう

本丸。

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