ある政治共同体において、一つの権力、一つの政府、一つの法律に基づいて政治が統一的に行われること。この意味では、現代の国家はすべて中央集権的統治形態をとり、封建社会におけるような領邦国家の群立する分権的支配とは異なる。このような政治思想は、統一的な政治共同体の形成が、その領域内における政治的安定性を保持し、外敵の侵略を防止するうえで必要である、という認識と結び付いて生じてきたものであり、具体的には、15、16世紀ヨーロッパにおける絶対主義国家の時代になって登場した。しかしこの時代には、政治権力は国王や少数の貴族の手中にあり、国民の自由や権利は十分に保障されなかったから、市民革命後、近代国家が登場すると、権力分立制や地方自治制を確立することによって権力の過度の集中による専制化を防ぎ、人権を保障しようとする政治制度上のくふうがなされたのである。こうした関連の下で地方分権という語が生まれた。第二次世界大戦後、日本国憲法において、とくに「地方自治」という1章が設けられたのは、この憲法が国民主権主義をとっていることを表明したものといえる。もっとも、現代の福祉国家や社会主義国家においては、福祉・労働行政や軍事問題などを処理するために政府の比重が著しく肥大化し、権力の集中化が進行してきているので、中央集権と国民の権利・自由との間の矛盾をどのように解決するかが政治の重要な課題となっている。かつてブライスは「地方自治は民主主義の学校である」と述べたが、それとの関連で日本においても1990年代末ごろから、これまで「中央分権」と揶揄(やゆ)されてきた「地方分権」の改革が進められることになった。そして、2009年(平成21)9月に成立した鳩山由紀夫(はとやまゆきお)民主党内閣では、「地方分権」改革を一歩進めて地方自治体と地域住民の主体の下に地方政治を実現する「地域主権」主義を宣明した。
[田中 浩]
地方分権に対立する語で,一般に中央政府に責任と権限が集中している状況をいう。連邦制国家はもとより単一国家においても,政府構造は国民・国家全体に責任を負う中央(連邦)政府を頂点として階層的構造をとっている。こうした政府間に責任と権限をいかに配分するかは,いかなる国家においても統治構造の根幹にかかわる問題である。現代国家はいずれも20世紀初頭より中央集権的傾向を強めてきた。今世紀における都市化と工業化の進展は,階級対立を高めつつ社会的富を拡大した。国内の政治的緊張の緩和のために,労働者階級への政治的諸権利の付与と社会保障の確立にみる所得再配分が行われた。中央政府は官僚組織を整えつつ職能を拡大したが,さらに恐慌の回避のために経済社会計画をもって市場に介入し,他方,国家間の緊張に対応して軍備の拡大,物資や精神の動員まで行うに至っている。中央政府への権力集中と作動条件の形成は,経済発展の必然的所産であった。また,経済後発国では〈開発独裁〉が論じられるごとく,近代化は当初より中央政府への権力集中を条件に進められてきた。一般に,日本は高度に中央集権的国家といわれる。これは,明治維新が未完の市民革命であり,〈権力対自由なる政治的精神〉構造が成熟しなかったこと,経済,軍事開発を至上の命題として中央から地方へ至る官僚制支配が,天皇主権のもとに図られたことに起因する。第2次大戦後,日本国憲法は地方自治を保障した。法制度上,統治構造は天皇主権の国家統治から国民主権の分権型統治に転回した。だが,〈知識の集権,実施の分権〉が〈新中央集権〉として語られたごとく,中央政府は政策決定権限を細部にわたって留保し,金融財政をもって経済を支配するとともに,機関委任事務等の諸手段をもって地方自治体行政を統制してきた。日本国憲法下における強度に進行した集権状況は,〈戦後中央集権〉ともいわれる。
→地方分権
執筆者:新藤 宗幸
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… このような条件は,国家の文化的統一を,さらには政治的統一を容易にしたにちがいない。中央集権的な古代国家は,5世紀から12世紀まで続く。その後に権力の分散傾向が現れたが(13~16世紀),16世紀後半からは再び権力集中の過程が始まり,2段階を経て今日に及ぶ。…
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