ちゅう‐ざん【中山】
[一] 古く、中国人が
沖縄をさしていった語。一四一六年中山王尚巴志が
全島を統一して以来、沖縄を中山国と称した。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「中山」の意味・読み・例文・類語
ちゅう‐ざん【中山】
琉球王国の異称。中国側からの呼称。小国家の中山が北山・南山を滅ぼし統一王朝を樹立したことからの名。
なかやま【中山】[地名]
千葉県市川市と船橋市にまたがる地名。日蓮宗法華経寺の門前町から発展。中山競馬場がある。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
中山
なかやま
[現在地名]左京区岡崎〈
真如堂前町・西福ノ川町・東福ノ川町〉付近
黒谷から神楽岡に至る間の地名。その名称は「吉記」養和元年(一一八一)九月二二日条に「参中山観音堂」とみえ、平安時代後期には既に現れる。古くからの三昧の地(墓地)で「山州名跡志」にも「此所京辺五三昧ノ内ナル由、載
奇異雑談集
」とあり、また「中山葬所」のあったことが同書に記されているが、こうした風景が貞応二年(一二二三)の源光行の紀行文「海道記」の冒頭部に「白河の渡り中山の麓に閑素幽栖の侘士あり」との表現になったのであろう。
中山
なかやま
[現在地名]丸子町大字御岳堂
御嶽堂村の集落の一つ。諏訪・佐久・依田窪地方と信濃守護所のあった塩田とを結ぶ古道の砂原峠は集落の西にある。承久四年(一二二二)二月源義朝の第一〇子八田知家の第三子茂木知基が、その子一王に小県郡依田庄のうち五ヵ村を譲った茂木文書に「壱所 在信濃国依田庄内五箇村飯沼・中山・真□・内村・腰越」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中山
なかやま
鳥取県西部,大山町東部の旧町域。大山の北斜面から日本海岸にかけて広がる。 1957年中山村と逢坂村が合体して町制。 2005年大山町,名和町と合体して大山町となった。下市は江戸時代前期,山陰道の宿場町として発展。米作のほか二十世紀梨を産し,畜産も行なわれる。沿岸部ではサザエ,ヒラメを特産。退休寺,木ノ根神社,国指定天然記念物のハマナス自生南限地帯などがある。一部は大山隠岐国立公園に属する。
中山
なかやま
愛媛県中部,伊予市南東部の旧町域。内山盆地の北部にある。石鎚山脈の南端部,肱川の支流中山川上流域のわずかな平地を占める。 1925年町制。 1955年佐礼谷村と合体。 2005年伊予市,双海町と合体して伊予市となる。中心集落の中山は大洲街道の宿場町,出渕は山間盆地の商業中心地として繁栄。中山栗の名産地で,1960年代から観光クリ園も開かれ,山腹にはミカン園が増加,タバコの栽培も行なわれる。
中山
なかやま
千葉県西部,市川市南東部と船橋市の境界一帯の地域。日蓮宗四大本山の一つ法華経寺の門前町として発達した。 1960年代以降は東京への通勤者が激増し,急激に都市化している。船橋市側に中山競馬場がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
中山【ちゅうざん】
中国,広東省南部の都市。珠江河口に位置する。南宋時代に香山県が置かれたが,同県の翠亨(すいこう)村が孫文(中山)の生地であったことから,1925年中山県に改名,1983年中山市に昇格した。米作のほか,茘枝(れいし),竜眼などの栽培が行われ,近年は加工貿易も盛ん。市内に孫中山旧居陳列館があり,中山港は対外開放港となっている。152万人(2014)。
中山【なかやま】
千葉県市川・船橋両市にまたがる地区。中世以来日蓮宗四大本山の一つ法華(ほけ)経寺の門前町として発達,関東大震災後次第に住宅地化し,特に第2次大戦後は東京への通勤者住宅地として急速に膨張した。船橋市域に中山競馬場がある。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ちゅうざん【中山 Zhōng shān】
中国,春秋戦国時代の国名。春秋時代に白狄が鮮虞を破り,河北省新楽県付近に建てた国。初め鮮虞とよばれたが,春秋末に河北省唐県付近にうつり,中山と称した。戦国初めに顧(河北定県)にうつったが,前407年魏に滅ぼされた。桓公は霊寿(河北平山県北東)に都をうつして国を再興し,勢力を蓄え,一時は王と称した。前314年には斉とともに燕を討ち,疆域を拡大した。しかし前296年強大になった趙によって滅ぼされた。なお,最近,中山王墓が発掘され,日本においてもその出土品が展覧された。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報