精選版 日本国語大辞典 「中村仲蔵」の意味・読み・例文・類語
なかむら‐なかぞう【中村仲蔵】
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歌舞伎(かぶき)俳優。
(1736―90)屋号栄屋(さかえや)。俳名秀鶴(しゅうかく)。『忠臣蔵(ちゅうしんぐら)』五段目の定九郎の新演出や天明(てんめい)期(1781~1789)における劇舞踊の大成者として著名な俳優。浪人の子に生まれる。江戸長唄(ながうた)の名手中山小十郎(こじゅうろう)(妻は志賀山お俊(しゅん))に養育された。門閥のない下回りから出発し、逆境と戦いながら実力をもって出世し、1785年(天明5)には実悪(じつあく)の至上上吉にまで昇った。色悪(いろあく)、敵役(かたきやく)、立役(たちやく)を兼ね、写実的な芸風で知られる一方、所作事(しょさごと)では当時の第一人者であった。常磐津(ときわず)地の『関の扉(せきのと)』や『戻駕(もどりかご)』の初演者。舞踊の志賀山流には「仲蔵ぶり」とよぶ独自の振(ふり)の型が伝わる。『月雪花寝物語(つきゆきはなねものがたり)』『所作修業旅日記』『秀鶴随筆』などの著書がある。
[服部幸雄]
(1759―1796)初世の養子。2世大谷春次(はるじ)、3世大谷鬼次(おにじ)を経て、1794年(寛政6)11月2世仲蔵を襲名した。初世仲蔵の芸風を慕い、よくそれを吸収していたが、襲名後まもなく没した。
[服部幸雄]
(1809―1886)初世同様下回りから出発し、苦労のすえ、実悪で古今の名人と称されるまでになった。1853年(嘉永6)に『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』の蝙蝠安(こうもりやす)を演じて成功、これが出世芸になった。1865年(慶応1)3世仲蔵を襲名。芸道の故実に通じ、芝居道の師匠番として重んじられた。『手前味噌(てまえみそ)』『絶句帖(ぜっくちょう)』の著書がある。
[服部幸雄]
(1855―1916)13世中村勘三郎の門弟。12世中村勘五郎が、1915年(大正4)4月に4世を襲名したが、翌年正月に病没した。
[服部幸雄]
(1935―1992)17世中村勘三郎の門弟。13世中村勘五郎が1989年(平成1)に5世仲蔵を襲名した。脇役(わきやく)として活躍したが早世した。
なお、上方(かみがた)にも中村仲蔵を名のる俳優があり、その名跡は4世まで続いた。初世は浜芝居の大立者として、天明(てんめい)・寛政(かんせい)期(1781~1801)に活躍した人。4世(1817―1881)は初世坂東寿三郎(ばんどうじゅうざぶろう)が1848年(嘉永1)に継いだ。3世中村歌七(かしち)の養子、後の4世中村嘉七(かしち)。2、3世は目だたなかった。
[服部幸雄]
『小池章太郎訳『口訳手前味噌――三代目仲蔵自伝』(1972・角川書店)』
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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