中沢不二雄(読み)ナカザワフジオ

デジタル大辞泉 「中沢不二雄」の意味・読み・例文・類語

なかざわ‐ふじお〔なかざはフジを〕【中沢不二雄】

[1892~1965]野球選手・パリーグ会長。滋賀の生まれ。明大野球部では遊撃手として海外遠征などで活躍満鉄入社し、都市対抗野球チーム優勝に導く。戦後パリーグの初代専任会長に就任。昭和34年(1959)の天覧試合では、昭和天皇への説明役を務めた。

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20世紀日本人名事典 「中沢不二雄」の解説

中沢 不二雄
ナカザワ フジオ

大正・昭和期の野球評論家 パ・リーグ初代会長。



生年
明治25(1892)年11月25日

没年
昭和40(1965)年6月9日

出生地
滋賀県彦根

学歴〔年〕
明治大学〔大正5年〕卒

経歴
神戸一中から荏原中に転校。明大野球部に入り、大正2年マニラで開かれた第1回極東オリンピック大会に出場、フィリピン代表を連破して優勝、敏捷な守備で人気を集める。5年卒業後東洋汽船を経て満鉄に入社。昭和2年第1回都市対抗野球に満鉄クラブ監督兼遊撃手で出場し優勝。その後満州日日、満州日報に転じ、戦後帰国、小西得郎と野球雑誌「ホームラン」を創刊。石川島播磨造船、毎日放送、東京タイムズ嘱託などを務め、野球放送の解説もした。34年永田雅一の推挙で初代パ・リーグ会長となった。平成14年殿堂入り。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中沢不二雄」の解説

中沢不二雄 なかざわ-ふじお

1892-1965 大正-昭和時代の野球人。
明治25年11月25日生まれ。明大時代は遊撃手。卒業後,東洋汽船をへて満鉄に入社,満鉄クラブの監督兼遊撃手となり,第1回都市対抗野球に優勝。戦後,野球放送解説者として活躍した。昭和34年初代パリーグ会長。昭和40年6月9日死去。72歳。滋賀県出身。

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367日誕生日大事典 「中沢不二雄」の解説

中沢 不二雄 (なかざわ ふじお)

生年月日:1892年11月25日
大正時代;昭和時代の野球評論家。パ・リーグ初代会長
1965年没

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