中西宗助(読み)なかにし・そうすけ

朝日日本歴史人物事典 「中西宗助」の解説

中西宗助

没年享保18.8.29(1733.10.6)
生年:延宝4(1676)
江戸中期の三井家越後屋呉服店の最高重役。伊勢国飯高郡船江村(三重県松阪市)生まれ。貞享4(1687)年に三井家の松坂店に奉公を始めた。京都店に移ってからその才能を認められ名代役に取り立てられたが,越後屋呉服店や両替店,糸店の店舗組織の統合に努めて,宝永7(1710)年に大元方が創設されると,その功績によって元締役に就いている。享保4(1719)年には三井家から大津店を分与されるなど重役手代のなかでも破格の扱いを受けた。三井高房に助言して『町人考見録』(享保年間)の作成にも協力した。<参考文献>三井文庫編『三井事業史』本編1巻

(賀川隆行)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中西宗助」の解説

中西宗助 なかにし-そうすけ

1676-1733 江戸時代前期-中期の商人
延宝4年生まれ。貞享(じょうきょう)4年呉服の三井松坂店にはいる。のち京都本店に転じ支配役,名代役をへて大元締となり,大番頭として店の基礎をきずいた。三井高房の「町人考見録」の編集にかかわった。享保(きょうほう)18年8月29日死去。58歳。伊勢(いせ)(三重県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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