中野初子(読み)なかのはつね

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中野初子」の意味・わかりやすい解説

中野初子
なかのはつね
(1859―1914)

電気工学者。肥前国佐賀県)佐賀藩士中野卜斎の次男桜岡、新渓と号す。1885年(明治18)工部大学校を卒業、1886年帝国大学工科大学(現、東京大学工学部)助教授。1887年アメリカ、コーネル大学留学、高圧電気工学の先駆者リャンはこのときの級友。1891年帰国し、同年帝大教授。工部大学校創立(1873)当初からのイギリス人教授エアトンに学び、在学中の1878年3月25日、工部大学校で開かれた中央電信局開局祝賀会でエアトンの指導の下、アーク灯点灯、日本最初の点灯である。1894年石川島造船所(現、IHI)電気工場顧問として東京電燈(でんとう)(後の東京電力)浅草中央発電所の高圧単相交流発電機の設計を手がけ、日本の電気事業足掛りをつくった。

[井原 聰]


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関連語 学位 学歴

20世紀日本人名事典 「中野初子」の解説

中野 初子
ナカノ ハツネ

明治期の電気工学者 東京帝国大学教授。



生年
安政6年1月5日(1859年)

没年
大正3(1914)年2月16日

出生地
肥前国小城町(佐賀県)

学歴〔年〕
工部大学校(現・東大工学部)電信科〔明治14年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔明治32年〕

経歴
佐賀藩士中野卜斉の二男。明治6年兄を頼って上京し、7年工部省工部寮小学校に入学。のち工部大学校に進み、英国の電気工学者エアトンの指導を受け、在学中の11年3月25日藤岡市助、浅野応輔らと同校大ホールで開かれた中央電信局開局祝宴にアーク燈を点じた。この日は“電気記念デー”となっている。14年卒業後、工部省、文部省に出仕、19年工部大学校が帝大工科大学に合併されると同大学助教となり、21年米国コーネル大学に留学。24年帰国後、帝大工科大学教授に就任。33〜34年欧州の電気工場を視察。電気機械、高電圧送電、電気応用の開発に力を尽くした。また44年電気学会会長なども務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中野初子」の解説

中野初子 なかの-はつね

1859-1914 明治時代の電気工学者。
安政6年1月5日生まれ。工部大学校在学中,明治11年3月25日に教師エアトンの指導で藤岡市助らと日本初の電灯,アーク灯をともした。のちこの日が電気記念日となる。34年東京帝大教授。電気学会会長をつとめた。大正3年2月14日死去。56歳。肥前小城(おぎ)(佐賀県)出身。号は桜岡,新渓。

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