久原躬弦(読み)クハラミツル

デジタル大辞泉 「久原躬弦」の意味・読み・例文・類語

くはら‐みつる【久原躬弦】

[1856~1919]化学者。岡山の生まれ。京都大学総長日本における有機化学研究の理論的基礎を築いた。著「立体化学要論」など。

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精選版 日本国語大辞典 「久原躬弦」の意味・読み・例文・類語

くはら‐みつる【久原躬弦】

  1. 化学者。理博津山藩岡山県)出身。東京大学化学科第一回卒。アメリカ留学後、東京大学教授、第一高等学校長、京都帝国大学教授・総長を歴任。有機化学を専門とし、ベックマン転位に関する研究などを行なう。著「立体化学要論」など。安政二~大正八年(一八五五‐一九一九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「久原躬弦」の意味・わかりやすい解説

久原躬弦
くはらみつる
(1856―1919)

有機化学者。岡山県津山藩医久原宗甫(そうほ)(洪哉(こうさい))(1825―1896)の長男に生まれる。母は歌子。神戸の箕作麟祥(みつくりりんしょう)の英語学校に通い、15歳のとき貢進生に選ばれ、大学南校に入学。アトキンソンらに化学を学び、1877年(明治10)東京大学理学部化学科を卒業(第1回生)、翌1878年準助教、また東京化学会の創設に貢献し初代会長となる。1879年アメリカに留学し、ジョンズ・ホプキンズ大学のレムセンのもとで有機化学を、エール大学で金石学を研究した。1881年ジョンズ・ホプキンズ大学で学位を取得、同年末に帰国。1884年東京大学理学部教授、1886年より第一高等中学校教諭となり、1894年同校校長、1898年、新設の京都帝国大学理工科大学教授、1912年には同大学第4代総長となった。

 1907年(明治40)から1919年にかけてなされたベックマン転位の研究によって世界に知られ、日本における理論的な有機化学研究の基礎を築いた。卒業論文は「日本の染色および捺染(なっせん)法」で、初期には紫根染料の分析(1879)やインジゴ合成(1900)など染料工業の基礎となる純化学的研究を行った。論文「有機化学の講究」(1882)で有機化学の理論的研究の必要性を説き、著書『立体化学要論』(1907)で立体化学を紹介した。彼の研究は小松茂(1883―1947)、野津龍三郎(1892―1957)らに引き継がれ、京都大学における有機化学の反応研究の伝統をつくった。訳書に『レムセン氏小化学書』上下(1888、1889)、著書に『化学者の夢』(1907)などがある。

[徳元琴代 2018年9月19日]

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化学辞典 第2版 「久原躬弦」の解説

久原躬弦
クハラ ミツル
Kuhara, Mitsuru

日本の有機化学者.日本の岡山津山藩医の長男として,安政2年11月28日に生まれる.神戸の英語学校に通う.17歳で藩の貢進生として,大学南校に入学し,R.W. Atkinson(アトキンソン)に化学を学び,1877年東京大学理学部第1回卒業生となる.卒業論文は“日本の染色及捺染法”である.1878年準助教となり,東京化学会(日本化学会の前身)を創設し,初代会長となる.1879年アメリカ留学,ジョンズホプキンス大学化学教授I. Remsenのもとで有機化学を学ぶ.1881年Ph.D.の学位を取得して帰国.1884年東京大学教授,1886年東京大学予備門(のちの一高)に移り,1894年一高校長,さらに1898年新設の京都帝国大学理科大学教授,1912年京都帝国大学総長となる.おもな業績として,理論的有機化学研究,藍青の合成反応,フタルイミドの異性体の研究などがある.立体化学の重要性を指摘し,1908~1919年の“ベックマン転位の研究”は世界的に評価が高い.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

20世紀日本人名事典 「久原躬弦」の解説

久原 躬弦
クハラ ミツル

明治・大正期の有機化学者 京都帝国大学総長。



生年
安政2年11月28日(1856年)

没年
大正8(1919)年11月21日

出生地
美作国津山(岡山県津山市)

学歴〔年〕
東京大学理学部化学科〔明治10年〕卒

学位〔年〕
理学博士〔明治24年〕

経歴
父は津山藩医。明治11年日本化学会の前身東京化学会の創立に貢献し、第1期会長となる。12年米国のジョンズ・ホプキンズ大学に留学、帰国後17年東大理学部教授となり、19年第一高等中学(のちの一高)教諭、27年校長。31年京都帝大理科大学教授、45年総長に就任。京大の化学教室をつくり、藍青合成反応の仕組み、アミン類の反応の仕組み、異性体の研究、立体化学の紹介などの業績がある。特に“ベックマン転位”の研究は有名。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「久原躬弦」の解説

久原躬弦

没年:大正8.11.21(1919)
生年:安政2.11.28(1856.1.5)
明治大正期の理論有機化学者。美作国(岡山県)津山藩医久原宗甫の長男。明治3(1870)年大学南校(東大)に入学,アトキンソンに化学を学ぶ。10年12月東大理学部化学科第1回卒業生。12年4月米国に留学し,サッカリンの発見者レムセンに有機化学を学び,17年帰国。東大教授,一高教授,同校長を務めたのち,31年新設の京都帝大教授となり,45年同総長に任ぜられた。42年ロンドンでの第7回万国応用化学会に出席。真島利行(1874~1962)らに化学を選ばせるなど,学問の深さと高潔な人柄で京大化学の伝統の礎を築いた。主な研究はベックマン転位についての系統的研究のほか,有機物の反応・構造・合成など。<参考文献>『京都帝国大学史』『津山市史』,山下愛子「久原躬弦」(『MOL』1964年8月号)

(山下愛子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久原躬弦」の解説

久原躬弦 くはら-みつる

1856*-1919 明治-大正時代の化学者。
安政2年11月28日生まれ。アメリカのジョンズ-ホプキンズ大に留学。明治17年東京大学教授,27年一高校長,45年京都帝大総長。ベックマン転位の研究で知られ,わが国の理論的有機化学研究の基礎をきずいた。大正8年11月21日死去。65歳。美作(みまさか)(岡山県)出身。東京大学卒。著作に「立体化学要論」など。

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367日誕生日大事典 「久原躬弦」の解説

久原 躬弦 (くはら みつる)

生年月日:1856年11月28日
明治時代;大正時代の有機科学者。東京大学教授
1919年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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