亀山(読み)カメヤマ

デジタル大辞泉 「亀山」の意味・読み・例文・類語

かめ‐やま【亀山】

京都市右京区の嵯峨にある山。大堰おおいに臨み、嵐山に対する。嵯峨天皇後嵯峨天皇亀山上皇の離宮の亀山殿があった。
三重県北部の市。もと東海道の宿場町、石川氏城下町。緑茶・紅茶や美術蝋燭ろうそくを産する。平成17年(2005)1月に関町と合併。人口5.1万(2010)。
亀の上の山」に同じ。

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精選版 日本国語大辞典 「亀山」の意味・読み・例文・類語

かめ‐やま【亀山】

  1. [ 1 ]
    1. [ 一 ] 中国の東の海にあって神仙が住むとされ、大亀が背負っているといわれる蓬莱山(ほうらいざん)の異称。亀の尾の山。亀の上の山。
      1. [初出の実例]「かめやまのかげをうつしてゆく水にこぎくる舟はいくよへぬらん」(出典:貫之集(945頃)五)
    2. [ 二 ] 三重県北部、鈴鹿山脈の東の地名。江戸時代、石川氏五万石の城下町。また、東海道五十三駅の宿駅の一つ。茶・美術蝋燭(ろうそく)で有名。昭和二九年(一九五四)市制。
      1. [初出の実例]「庄野につづくかめ山は、たがためながきよろづよと」(出典:浄瑠璃・出世景清(1685)道行)
    3. [ 三 ] 京都市右京区嵯峨、天龍寺の西にある山。後嵯峨・亀山両院などの離宮があった。大堰(おおい)川に臨み、嵐山に対する。亀の尾の山。嵯峨の山。
      1. [初出の実例]「かめやまの子の日の小松ひき見つつ君がためにと祈る今日かな〈藤原明理〉」(出典:寛和二年内裏歌合(986))
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙かめやま(亀山)のお化け」の略。
    1. [初出の実例]「化けそふな親仁亀山うってゐる」(出典:雑俳・柳多留‐一〇五(1828))

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改訂新版 世界大百科事典 「亀山」の意味・わかりやすい解説

亀山[市] (かめやま)

三重県北部の市。2005年1月旧亀山市と関(せき)町が合体して成立した。人口5万1023(2010)。

亀山市東部の旧市。1954年亀山町と昼生(ひるお),井田川,川崎,野登(ののぼり)の4村が合体,市制。人口3万9334(2000)。市域は鈴鹿山脈の南東部から伊勢平野にかけての台地に広がり,中心市街地は鈴鹿川左岸の段丘上にある。江戸時代までは城下町,東海道の宿駅として発展したが,1890年関西鉄道(現,JR関西本線)が開通し,翌91年には参宮鉄道(現,JR紀勢本線)が開通して両鉄道の分岐点となり,鉄道の街としての性格を強めた。その後国道1号線の整備や名阪国道(国道25号線)の開通(1965)によって,工業団地や住宅団地の開発もすすんでいる。東名阪自動車道のインターチェンジがある。茶(緑茶,紅茶),生糸,輸出用美術ろうそくなどが在来の特産物である。亀山城跡には天守台石垣や多聞櫓が,また城跡北西の野村には旧東海道の一里塚(史)が残っている。
執筆者:

伊勢国の城下町,宿場町。亀山の名称は,丘陵神山がなまったとも,石亀を放った所であるためともいわれるが,歴史は13世紀,関実忠が同地に築城して亀山城と称したことに始まる。1590年(天正18)関氏が移封,岡本宗憲が入封して新城を築いた。その後の藩主交替は松平氏,三宅氏,本多氏,石川氏,板倉氏などが幾度も入れ替わり,1744年(延享1)石川総慶が入封して幕末に至る。ほぼ6万石の譜代大名で,亀山はその拠点として,東西4町20間,南北3町の城郭,300戸以上の侍屋敷があり,町方の者は西町,東町,横町,鍋町,本新町,西新町,茶屋町などに居住した。亀山は同時に幕府の道中奉行の支配下にある東海道の宿駅で,天保期(1830-44)には本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠屋21軒があった。特産で知られるのは亀山鐔(つば)(間(はざま)鐔)で,参勤交代の際に通過する諸国の武士が買い入れた。また大市と呼ばれる市が有名であった。
執筆者:

亀山市西部の旧町。旧鈴鹿郡所属。人口7272(2000)。鈴鹿山脈と布引山地の境に位置し,鈴鹿峠に源を発する鈴鹿川と支流加太(かぶと)川が町内を東流する。古くからの交通・軍事の要衝で,古代には三関の一つである鈴鹿関が設置されていた。近世には東海道の宿駅として関・坂下(さかのした)両宿が栄え,現在も関は宿場町の遺構をよく残している。1890年関西鉄道(現,関西本線)開通後一時衰退したが,国道1号線はじめ名阪国道(国道25号線),東名阪自動車道から接続する伊勢自動車道(関ジャンクション)が整備され,再び交通の要衝となった。基幹産業は農業で,米作を中心に野菜・花木栽培が行われるが,林業も行われ,製材工場が多い。鈴鹿国定公園に含まれ,地蔵院などの古寺や筆捨山などの名所があり,中世の領主関氏の館であった正法寺山荘跡は国の史跡に指定されている。
執筆者:

伊勢国鈴鹿郡に置かれた東海道の宿駅。亀山城下より1里半,鈴鹿山麓の坂下宿を経て近江国に至る。参宮街道へも追分があって通じていた。江戸往来がふえるにつれて発達し,1843年(天保14)ころの町並みの長さは15町13間,民家632軒,本陣2,脇本陣2,宿屋42軒であった。亀山藩領に属し,木崎(こざき),中町,新所からなり,伝馬の助郷村は15村あった。コンニャク,弓弦,火縄などを産した。
執筆者:


亀山 (かめやま)

丹波国桑田郡の城下町(現,京都府亀岡市)。口丹波の交通の要地。地名の起りは1579年(天正7)明智光秀が築城して亀山城と名付けたことによる。城郭は大堰川右岸の台地にあり,城下町はその南部に建設されたが,人家を移住させた柏原(かせばら),三宅,古世などの9ヵ村を母体に,惣外堀内に取り込んだ城下町16町と城下外の4町で構成された。町々には町役として肝煎がおり,町全体のまとめ役には町年寄3名があたった。また町々の属する村には1~2名の庄屋がおり二重の組織が存在したようである。1841年(天保12)ころには城下9ヵ村の戸数1225で1戸当り5人とみて約6000人,それに武家人口約3000人を加えると9000人ほどが生活していたことになる。上矢田村鍬山神社の祭礼は1681年(天和1)に復興され,藩主の保護を得て年々盛んとなり,行列が城中まで入り,かき山引山は町を練り回るなど,口丹波一の祭りとしてにぎわったが,現在は亀岡祭(10月24~25日)として知られる。特産物としてマツタケ,栗,サンショウ,タバコ,砥石などがある。1869年(明治2)版籍奉還のとき,伊勢亀山との混同を避けるため亀岡と改称。
亀山藩
執筆者:

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日本歴史地名大系 「亀山」の解説

亀山
かめやま

小倉おぐら山東南の尾、天龍てんりゆう寺の後山をいう。山の形が亀甲に似ているところからの称で、亀の尾山ともいう。

歌枕として「能因歌枕」「五代集歌枕」「和歌初学抄」「八雲御抄」「和歌色葉」に挙げられ、「初学抄」が「イハヒニヨムベシ」と注するごとく、亀の名から長寿を祈祝する歌に詠まれることが多い。

<資料は省略されています>

ここに山荘雄蔵殿おぐらどのを営んで退隠した兼明親王(醍醐天皇皇子、前中書王とよばれる)は、その「菟裘賦」(本朝文粋)に「余亀山の下に、聊かに幽居を卜ひて、官をり身を休め、老を此に終へなむと欲ひき。草堂の漸くに成るに逮びて、執政者に枉げて陥れらる。君昏く臣諛ひて、うたふるに処無し」と記している。


亀山
かめやま

[現在地名]姫路市亀山

飾西しきさい郡に所属。飯田いいだ村の南、船場せんば川と野田のだ川の間に位置する。東は飾東しきとう郡亀山町。天正三年(一五七五)の近村めぐり一歩記(智恵袋)によると、地名の由来は永延二年(九八八)三足の亀が出たことによるという。「播磨国風土記餝磨しかま伊和いわ里の条にみえる一四丘の一つ「みか丘」は当地にあったとする説がある。船場本徳寺縁起(姫路船場別院本徳寺蔵)などによれば、天正八年(一五八〇)羽柴秀吉英賀あが城を攻めたとき英賀御堂(英賀本徳寺)に「除火」の措置をとって寺領三〇〇石を寄進し、同一〇年亀山に寺地を与えられて亀山本徳寺が建立された。


亀山
かめやま

おお島の北端近くにあり、東方唐桑からくわ半島の早馬はやま山と狭い瀬戸を隔てて対峙する。標高二三五メートル。近世にはかめもり山ともいった。周囲に高山がなく、山頂からは眺望が大いに開けており、北は盛岡領五葉ごよう(現岩手県釜石市)、あるいは気仙郡綾里りようり崎・唐丹とうに(現岩手県気仙郡三陸町)、南は牡鹿おしか金華山きんかさんえの島、桃生ものう名振なぶり(現雄勝町)を見通すことができる。西方には北上山地がはしっており、磐井いわい室根むろね(現岩手県東磐井郡室根村)を間近く見ることができる。亀山には太田おおた神社(現大島神社)・愛宕神社の二社があり、両社とも修験や寺院とは関係なしに、村人自体が別当として祀っている(大島村安永風土記)

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百科事典マイペディア 「亀山」の意味・わかりやすい解説

亀山【かめやま】

丹波国桑田郡に近世初期に成立した城下町。現京都府亀岡市の市街地部にあたる。1575年から70年代の末にかけて,丹波国は織田信長方の明智光秀によって平定され,光秀は1579年ころ丹波支配のため当地に亀山城を築造,同時に城下町が形成された。城は大堰(おおい)川右岸の河岸段丘上にある丘(亀山)を利用して築かれた平山城で,城下町は城の南部から北西方向に造られた。本能寺の変後は羽柴秀吉(豊臣秀吉)の支配下に置かれ,羽柴秀勝小早川秀秋前田玄以(げんい)らが代官あるいは城主として在城。前田玄以は関ヶ原の戦後も徳川家康から知行安堵され(5万石),玄以没後は次男茂勝が継いだが,間もなく転封となり,1609年岡部長盛が入封(3万2000石,のち3万4000石),亀山藩を立藩。以後1749年までの間に松平(大給)氏2代(2万2200石),菅沼氏2代(4万1000石,のち3万8000石),松平(藤井)氏3代(3万8000石),久世重之(5万石),井上正岑(4万7000石),青山氏3代(5万石)と藩主が替わり,1748年からは松平(形原)氏(5万石)が廃藩置県まで在城した。城下町は近隣の村々から百姓を移住させて形成したと伝え,城下に住みながら出身の村々に田畑を保有して農業を営む者が多かったという。そのため町年寄(3名。城下町全体を管轄),肝煎(各町に1名)のほか町々の属する村に置かれた庄屋の支配も受けた。1841年には町数20,総戸数1225。1869年版籍奉還に際して,伊勢亀山藩との混同を避けるため藩名が亀岡藩と改称され,同時に城下町も亀岡と呼ばれるようになり,1889年亀岡町が成立。1955年亀岡市となる。
→関連項目福知山

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「亀山」の意味・わかりやすい解説

亀山(市)
かめやま

三重県北部、鈴鹿(すずか)山脈東麓(ろく)にある市。1954年(昭和29)亀山町と昼生(ひるお)、井田川(いだがわ)、川崎、野登(ののぼり)の4村が合併、市制を施行して成立。2005年(平成17)関町を合併、市域が西に大きく広がった。大部分は山地と丘陵で、東流する鈴鹿川と安楽(あんらく)川が山麓を離れて伊勢(いせ)平野に出る所に平地が開ける。市街地は鈴鹿川左岸の河岸段丘上に旧東海道に沿って細長く発達している。JR関西本線と紀勢本線の分岐点であり、また国道1号、名阪国道、25号、306号が通じ、東名阪自動車道と新名神高速道路が亀山ジャンクションで、東名阪自動車道と伊勢自動車道が関ジャンクションでつながる交通の要地である。

 古代から開発の進んだ地で、記紀にみえる日本武尊(やまとたけるのみこと)の陵墓に指定される能褒野(のぼの)前方後円墳など県下でも古墳の多い所である。城下町としては、1265年(文永2)関実忠(さねただ)が若山に丹陵(たんりょう)城(亀山古城)を築いてから始まり、300余年にわたって関一族の本拠であった。現在の城と城下町は、1590年(天正18)に豊臣(とよとみ)秀吉に封じられた岡本宗憲(むねのり)が旧城の南東の地に新たに構築したものである。1604年(慶長9)関一政により亀山藩が立藩、その後藩主はたびたびかわったが、いまも残る多聞櫓(たもんやぐら)は正保(しょうほう)年間(1644~1648)に建築された武器庫で県の史跡に指定されている。現市域では江戸時代初期から亀山、関、坂下(さかした)の3宿が東海道の宿駅としても整備され、1843年(天保14)の記録によると、亀山宿では人口1549、家数567、旅籠(はたご)21を数えた。市の産業には、緑茶、紅茶のほか、美術ろうそくとして知られる「亀山ろうそく」がある。名阪国道の開通に伴い工業化が進み、名阪亀山関工業団地、亀山・関テクノヒルズなどの工業団地が造成されて、シャープの工場などの先端技術企業が進出している。東海道の野村一里塚は国指定史跡で、慈恩寺の阿弥陀如来(あみだにょらい)立像は平安前期の作で国の重要文化財に指定されている。関町新所(せきちょうしんじょ)地蔵院の本堂および愛染堂・鐘楼も国指定重要文化財。面積191.04平方キロメートル、人口4万9835(2020)。

[伊藤達雄]

『『亀山のあゆみ』(1975・亀山市)』


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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「亀山」の解説

亀山
(通称)
かめやま

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
亀山仇討
初演
享保13.11(大坂・姉川新四郎座)

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事典・日本の観光資源 「亀山」の解説

亀山

(福井県大野市)
ふるさと福井の自然100選」指定の観光名所。

亀山

(三重県亀山市)
東海道五十三次」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の亀山の言及

【嵐山】より

…平安時代から紅葉の名所として知られ,三船祭のような貴族の船遊びの場所でもあった。13世紀に後嵯峨上皇が亀山(小倉山南東の尾根)の仙洞に吉野の桜を移植してからは桜の名所としても有名になった。後嵯峨上皇の亀山殿の位置には,足利尊氏によって天竜寺が建立されているが,同寺開山の夢窓疎石作という庭園は,背後の亀山と嵐山を借景としている。…

【小倉山】より

…標高295m。古生層からなり,南東に長くのびた標高70~80mの尾根を亀山(亀の尾山)という。嵯峨野の西端を画し,西側と南側は保津川が深い峡谷(保津峡)を形成している。…

※「亀山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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