平安時代においては漢文訓読文に用いられ、和文にはほぼ同義の「かねて(より)」が用いられた。現代語では、「あらかじめ」はある事の始まる前に対処する意で時制にかかわりなく用いられるのに対し、「かねて」は過去のある時からその事を意識して現在にまで及ぶ意で過去のことにしか用いることができない。古典語では「かねて」にこのような制限はない。→かねて

なり。賈侍中(逵)の
に、物に
あらず」とするが、両義ともその用例はない。〔書、顧命〕に「王、豫(たの)しまず」、〔孟子、梁恵王下〕に「我が王、豫(あそ)ばず」など、不予・悦予・逸予の意に用いる。心部十下に
(よ)の字があり、「
るるなり。
(ゆる)やかなるなり。
書に曰く、疾
りて
(たの)しまずと。
は喜(たの)しむなり」とあって、〔書、金
〕の文を引き、字を
に作る。〔敦煌唐写隷古定尚書残巻〕にも、「逸予」の字を
に作る。「猶予」は形況の連語で、舒緩の意。力部十三下に「
(やう)は
(えう)、
やかなるなり」とあって、その声に舒緩の意があるのであろう。また予定・予占の意に用いるのは、象を予占のことに用いたかと思われるが、そのことを確かめがたい。〔易〕の十翼に〔象伝〕がある。
(悦)・
(説)jiuatと声義近く、また懌jyakも悦懌(えつえき)の意に用いる。豫・預・與(与)jiaは同声。参与の意があり、預定の意に用いる。象ziangも声近く、豫の原義は、大象の意であろう。
予・戯予・不予・游予・猶予・遊予・和予
を予(われ)に生ず」と一人称に用いるのは、余通用の義。予の本義は、その形声字の杼のうちに残されている。天子には「予一人」、幼少ならば「予小子」という。
、与の字なり。ヨシ・タマフ・イタル
など十一字を収める。舒・杼・抒・
は機杼に関する字。杼は機の緯(よこいと)を持つもの、舒・
などはこれを舒緩にする意。経(たていと)に径直、緯に
緩の意がある。
・舒sjia、抒djia、
thiaの諸字と同じく舒緩・展抒の意、杼ziaが機杼の字である。序ziaも、緯を序列する意があろう。みな畳韻の語。出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...