江戸末期の蘭方(らんぽう)医。伊予国(愛媛県)宇和島の人。号は如山。1819年(文政2)長崎に出て蘭学を学び、1823年P・F・B・シーボルトにオランダ医学を学ぶ。以後、つねにシーボルトの身辺にいて調査・翻訳にあたり、江戸参府にも随行している。1826年にはシーボルトの指示で気圧計を用い、富士山の高さを測っている。西洋式の高度測量を試みたのは、彼が初めてである。シーボルト事件に連座、一時入獄。シーボルト帰国後、その娘いね(伊禰、1827―1903)を世話した。1830年(天保1)帰郷して開業し、宇和島藩医となり、種痘の普及に尽力した。1857年(安政4)長崎に出て開業。1859年シーボルトの再渡来に際し、再会した。
[片桐一男]
(福島義一)
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…宇和島藩は伊達宗城(むねなり)がさかんに蘭学を摂取した。嘉永年間に高野長英,村田蔵六(大村益次郎)が来藩し,藩内にはシーボルトの弟子二宮敬作とその甥三瀬周三(諸淵(もろぶち))がいた。シーボルトの娘いねも宇和島に来住し,幕末の宇和島藩の蘭学・洋学は花開いた観がある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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