日本歴史地名大系 「五泉市」の解説 五泉市ごせんし 面積:九八・四五平方キロ県中央北部、新潟平野の中央部に位置する。市域は阿賀野川が山地から平野部に流れ出る谷口の左岸に展開し、西部を能代(のうだい)川、中央部を早出(はいで)川が貫流して沖積平野を形成する。北は阿賀野川を隔てて北蒲原(きたかんばら)郡水原(すいばら)町、東は東蒲原郡三川(みかわ)村、南は中蒲原郡村松(むらまつ)町、西は南蒲原郡安田(やすだ)町・新津市に接する。中央部を北から東に国鉄磐越西線が走り、五泉駅で村松に至る蒲原鉄道線が接続する。市名は五泉の町内を流れる五条の川にちなむといわれるが、確かではない。〔原始・古代〕早出川右岸の菅出(すがいで)に先土器時代の薬師堂(やくしどう)遺跡があり、頁岩製の石刃・ナイフ形石器などが出土した。縄文時代の遺跡は市域東部の菅名(すがな)岳・大蔵(おおくら)山の山麓台地に位置する大蔵・菅出・幅(はば)・切畑(きりはた)・小栗山(おぐりやま)と、西部の新津丘陵東麓に位置する山崎(やまざき)・橋田(はしだ)・尻上(しりあがり)に分布する。縄文中期の大蔵遺跡からは二軒の竪穴住居跡と配石遺構が検出され、配石遺構は当時の祭祀・信仰に関係する遺構と推定されている。橋田からは土師器の壺が出土している。宝亀一一年(七八〇)一二月二五日付西大寺資財流記帳(国立公文書館蔵)に鶉橋(うずらはし)庄の名があり、その所在地は地名の類似から橋田字鶉橋に比定されているが、早くに衰退したらしい。「延喜式」神名帳の蒲原郡一三座のなかに中山(なかやま)神社と宇都良波志(うづらはし)神社があり、前者は橋田の中山神社、後者は天神社(現在は中山神社に合祀)に比定されている。〔中世〕鶉橋庄の消滅後、中世には市域の大部分は菅名庄に包含される。 五泉市ごせんし 2006年1月1日:五泉市と中蒲原郡村松町が合併⇒【村松町】新潟県:中蒲原郡⇒【五泉市】新潟県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五泉市」の意味・わかりやすい解説 五泉〔市〕ごせん 新潟県中部,新潟平野の東部から越後山脈北西部にある市。 1954年五泉町と巣本村,川東村,橋田村の3村が合体して市制。 1955年下条村,菅名村のそれぞれ一部,1957年新関村の一部を編入。 2006年村松町と合体。中心市街地は阿賀野川支流の早出川左岸にあり,近世から仙台平の技法を取り入れた五泉平と呼ばれる袴地の産地。近世以後,羽二重,平絽 (ひらろ) などの絹織物に代わり,第2次世界大戦後はニット産業に転換し,山麓機業都市として全国的にも有名になった。 1906年に大火で約 1200戸が焼失してから,1945年に 800戸が焼失するまで,何度も大火に見舞われた。ニットをはじめとする繊維工業が盛んであるほか,製材・化学・食品工業も行なわれる。農村部では米作のほか,野菜や花卉が栽培される。阿賀野川沿いには咲花温泉がある。早出川や仙見川などの渓谷美に富み,サクラの名所の村松公園,名刹の慈光寺などの見どころがある。小山田ヒガンザクラ樹林は国の天然記念物。北部は阿賀野川ライン県立自然公園,南部は奥早出粟守門県立自然公園に属する。 JR磐越西線,国道 290号線が通る。面積 351.91km2(境界未定)。人口 4万7625(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報