出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生年不詳。没年は1674年、77年、85年の3説がある。江戸前期の古浄瑠璃(こじょうるり)の太夫(たゆう)。主として大坂で活躍し、京都で没したという。前名井上市郎兵衛。1658年(万治1)大和少掾(やまとのしょうじょう)藤原貞則(さだのり)を受領(ずりょう)、70年(寛文10)播磨少掾藤原要栄(あきひさ)を再受領(世間では播磨掾とよんだ)。虎屋(とらや)源太夫に学び、江戸万歳の曲節を取り入れて一流を開き、愁嘆と戦闘の場を得意とした。浄瑠璃界初の節付け稽古本(けいこぼん)として『忍四季揃(しのびしきぞろえ)』を残している。竹本義太夫(ぎだゆう)はその孫弟子にあたり、『古播磨風筑後丸(こはりまふうちくごまる)』で播磨掾の遺風をしのぶほか、義太夫節の随所にその語り口を取り入れた。
[倉田喜弘]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…その中で注目されるものに金平(きんぴら)節(金平浄瑠璃),外記節,土佐節がある。金平節は大坂の伊藤出羽掾,井上播磨掾にも影響した。土佐節は複雑な曲調で〈江戸〉として義太夫節にも採られ,近松にも影響したらしい。…
…初世岡本文弥は大坂道頓堀の伊藤出羽掾座で語り出して人気を集め,2世(生没年不詳)がそのあとを受け継いだらしいが,盛期は長くなかった。文弥節は高音の旋律型を特色としたらしく,井上播磨掾も用いた〈なきぶし〉を発展させて哀愁味を強くあらわし,俗に〈文弥の泣き節〉といわれる。それをさらに応用したのが初世の高弟岡本阿波太夫で〈愁ひ節〉として知られた。…
…六段。井上播磨掾正本,1658年(万治1)刊。能の《紅葉狩》や《今昔物語集》などを原拠としており,近松門左衛門の《栬狩剣本地(もみじがりつるぎのほんじ)》などに影響を与えた。…
※「井上播磨掾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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