精選版 日本国語大辞典 「交響曲」の意味・読み・例文・類語
こうきょう‐きょく カウキャウ‥【交響曲】
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クラシック音楽の用語で、18世紀以来管弦楽のために作曲されてきた器楽曲シンフォニア(イタリア語)、シンフォニー(英語)の訳語。語源的には「完全なる協和」を意味するギリシア語のsym(ともに)-phonia(響き)に由来する。16~18世紀の用例としては、単に「音楽」の意であるかのように声楽曲の題名にも用いられたほか、オペラやオラトリオの序曲や間奏曲などを含めた器楽曲一般にも使用されていた。それが限定的な意味に向かうのは、18世紀以降、コンサート器楽曲として類似のコンチェルト(協奏曲)と分岐して、独奏楽器のない、地味で、より小規模な「オーケストラのためのコンチェルト」を峻別(しゅんべつ)する必要がおこったためと考えられる。
バイオリンの名手を欠いても音楽演奏を成立させうるシンフォニア(交響曲)は、その発祥の地イタリアと並んで、18世紀中ごろからバイオリン楽団を擁するようになったドイツ各地の宮廷において人気曲種となり、この用語の新しい意味が定着する。オペラ序曲としてのシンフォニアもコンサートで独立して演奏され、ここに合流してくることがこのジャンルと名称の成立史を複雑にしている。
[大崎滋生]
アルプス以北におけるバイオリンとその奏者の絶対数の不足は、オーケストラに土着の管楽器を導入することにつながり、やがて各楽器はそれぞれの特性を生かした独立のパートを担うようになっていく。1740年ごろには弦楽合奏とオーボエおよびホルン各2部のオーケストラによる交響曲も試みられるようになり、その後の基本様式である4楽章構成、(1)第1楽章=ソナタ形式をとる急速楽章、(2)第2楽章=緩徐楽章、(3)第3楽章=メヌエット、(4)第4楽章=ソナタ形式をとることもある急速楽章、も試みられる。こうした交響曲の隆盛は、ヨーロッパ社会のあまたの宮廷が宮廷楽団を競って配備して、奏楽を宮廷生活の本質的構成要素としたことと関係がある。すでにこの時点で交響曲は、オーケストラ音楽として先輩格であった協奏曲をしのいで、そのもっとも一般的な曲種となった。ヨーロッパ地域を中心とする全資料館を対象とした、18世紀楽譜の調査によると、交響曲の創作量は1万6558曲にも達していた。
18世紀後半における宮廷社会の拡大と崩壊の兆しは、楽団の維持を場合によって困難にして、宮廷コンサートは市民に開放され、あるいは独自に公開演奏会が企画されて、交響曲の場はしだいに変化する。街なかの大きな集会所等に大勢の人を集めたこの種のコンサートは、より大きな音量が求められるようになっていったが、交響曲はそのような機会に沿う形で大規模化していき、演奏会の中心的演奏曲目であり続けた。宮廷楽師として経歴を開始し、市民芸術家としてその生涯を終えたハイドン(1732―1809)を例にとると、106曲の交響曲のうち約半分が十数人編成の宮廷楽団のためのものであり、二十数人規模の約4分の1を経て、残りの約4分の1は最終的に60人規模の編成を前提としている。これには楽器の種類の増大と、いわゆる2管編成の定着、小節数や演奏時間の拡張、形式の開発や整備、そして音楽様式としての交響曲の完成、が伴っている。
[大崎滋生]
18世紀末までの展開を交響曲の第1ステージとすれば、第2ステージはベートーベン(1770―1827)をその開始点にするといってよい。それほど劇的に局面は一気に転換したといえる。その理由はさまざまであるが、このころを境に、ヨーロッパの宮廷社会の隅々に行き渡っていた交響曲の時代は終わって、市民的芸術音楽文化を先駆的にはぐくんでいったドイツ音楽における、最大の曲種としての交響曲の時代が始まる。時はナポレオン戦争を期にナショナリズムが諸国で高まっていく時代であり、ドイツ音楽文化の発展・向上という当時の作曲家の課題を交響曲創作が直接的に担ったといえる。ことに19世紀前半は、一方で宮廷文化が途絶え、他方ドイツ以外の地域では市民的音楽文化がオペラを中心に展開され、交響曲の創作は例外的にしかなかった。こうした枠組みのなかでハイドン、モーツァルト、そしてとりわけベートーベンが次代の交響曲作曲家たちに与えた規範的影響力は計り知れない。ベートーベンの交響曲9曲の作品の中核は4楽章構成の純器楽交響曲だが、第6番『田園交響曲』は標題交響曲、合唱付きの『第九交響曲』はオラトリオ型交響曲であり、この3種がその後の交響曲を決定づけた。
[大崎滋生]
純器楽交響曲の系列はシューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブルックナー、ブラームスらの創作によって受け継がれ、この曲種全体の代表的な作品の峰々が生まれる。標題交響曲の系列はシュポーア、ラフJoachim Raff(1822―82)らに継承される一方、またドイツ圏外ではベルリオーズ、フランク(1848年以前の交響詩)、リストによって独創的な発展を遂げて、交響詩にまで至る。オラトリオ型交響曲の系列は、19世紀末のマーラーによってようやく本格的に再開発され、20世紀にもその傾向を継承した作品は少なくない。
19世紀後半に入ると、すでに確立されていたドイツのコンサート文化は周辺各国の若い世代をひきつけ、彼らが交響曲の創作にも参入してくる。フランスのサン・サーンス、チェコのドボルザーク、ロシアのルービンシュテインやチャイコフスキー、北欧のシベリウスやスベンゼンJohan Svendsen(1840―1911)らがその一例である。こうして交響曲の第3ステージとして、20世紀におけるクラシック音楽文化のコスモポリタン化と平行して、交響曲はそのドイツ性を完全に捨て去る。
これまで全世界のコンサート・ホールで過去の名作が演奏され、またディスクに録音されて、交響曲はクラシック音楽の代表的な大管弦楽曲種として刻印されてきた。その一方、20世紀の音楽創作において主役の座は確保できなかったとしても、アメリカや日本を含めて、それは創作され続けた。そして今日では、新作の完成は確かに少ないものの、作曲家が世界にメッセージを伝えたいときなどには交響曲の創作がなお試みられるところに、この曲種の記念碑としての歴史性が映し出されている。
[大崎滋生]
『CDブック『クラシック・イン第1巻/三大交響曲』(1989・小学館)』▽『小石忠男著『CD名曲名盤100/交響曲』(1994・音楽之友社)』▽『磯田健一郎著『ポスト・マーラーのシンフォニストたち――エルガー、シベリウスから現代まで』(1996・音楽之友社)』▽『吉井亜彦著『名盤鑑定百科 交響曲篇』(1997・春秋社)』▽『宇野功芳著『交響曲の名曲・名盤』(講談社現代新書)』▽『R・ジャコブ著、持田明子・広田健訳『交響曲』(白水社・文庫クセジュ)』
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…古典派以降の三重奏以上の室内楽は一般にこの名称をもたないが,広義にはソナタに含まれる。また交響曲も管弦楽のための一種のソナタである。比較的演奏が容易で小規模なソナタはソナチナsonatina(複数形ソナチネ)と呼ばれる。…
※「交響曲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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