江戸期の城。宮城県仙台市青葉区青葉山にあり、青葉城ともいう。城の三方を広瀬川の急崖(きゅうがい)と龍ノ口(たつのくち)の峡谷が囲み、要害の地を占めていた。関ヶ原の戦いの後、加増を受けた伊達政宗(だてまさむね)がこの地に縄張りを始め、1601年(慶長6)に本格的に着手したものである。本丸大広間が完成したのは1610年で、明治維新に至るまで伊達氏62万石の居城として存続した。本丸は標高115~140メートルの台地上を利用し、二の丸、三の丸は広瀬川の河岸段丘を利用しており、本丸に天守台はあるが、計画のみで天守閣は建てられなかった。城下町の中央道路である大町から広瀬川の大橋を渡った正面の所に大手門があり、これは、文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役のときに豊臣(とよとみ)秀吉が本営として築いた肥前名護屋(なごや)城の大手門が政宗に譲られたものといわれている。付属の脇櫓(わきやぐら)とともに桃山建築の名残(なごり)を伝えていたが、1945年(昭和20)戦災によって焼失した。
[小和田哲男]
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