代官(読み)だいかん

精選版 日本国語大辞典 「代官」の意味・読み・例文・類語

だい‐かん ‥クヮン【代官】

〘名〙
① ある人の身代わり。かわりの人。
※弁内侍(1278頃)建長二年「てれてれ日のこととまうことにてありしを、いつも少将内侍その役つとむる人にて侍りしが、さとへいでたりし代官に舞ふべきよし人々おほせられしに」
太平記(14C後)三五「京鎌倉に参て訴訟申可き代官も候はねば」
② ある官職に正官としてではなく代理として臨時に勤める官。名代としての官職。
※九暦‐九条殿記・荷前・天暦元年(947)一二月一六日「外記是連申云、造酒正清鑒忽不参入、可代官者、依外記定申、以主殿頭時雨奉仕之由仰了」
平家(13C前)一一「義経、鎌倉殿の御代官として院宣をうけ給はって、平家を追討す」
中世主君の代理として事にあたる者。幕府の職制に定められた正官の代理を勤めるもの。諸国では守護の代官を守護代といい、知行国では目代(もくだい)知行主の代官といった。とくに守護代、地頭代をさすことが多い。
吾妻鏡‐元暦元年(1184)四月二三日「此一両年上洛。度々合戦。竭忠節畢。而南郡国責勘之間。云地頭得分。云代官経廻。於事不合期之由。所歎申也」
④ 中世、荘官の下で荘園管理などその職務を代行したもの。預所(あずかりしょ)や請所(うけしょ)、下司代(げしだい)など。
※東寺百合文書‐テ・貞治三年(1364)二月東寺領矢野庄公文職請文「地下代官殊撰清廉故実之輩、申付之時、和市已下縦雖代官咎、懸正員所職
⑤ 江戸時代、幕府の直轄地天領)数万石を支配する地方官の職名。勘定奉行に属し、管地の年貢収納と司法検察を主務として管地の民政一般をつかさどった。多くは二〇〇俵級の下級旗本が任命された。
※俳諧・犬子集(1633)一六「倉にたはらをつみかさね置 代官をうけつぐみこそめでたけれ」
⑥ (━する) 江戸時代、大名が年貢収納その他、地方の支配に当たらせた役人。また、その役人として地方を支配すること。
※咄本・昨日は今日の物語(1614‐24頃)下「ある人文盲にて、過分の所領をだいくゎんするに、竹をきざみ、十石をば竹の大にて、いかほどの算用おもすましけれども、少もちがふ事なし」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「代官」の意味・読み・例文・類語

だい‐かん〔‐クワン〕【代官】

中世、主君の代わりとして事にあたった者の総称。特に、守護地頭の代官である守護代・地頭代をさすことが多い。
荘官の一。一定額の年貢納入を請け負い、支配の実務を行った。
戦国時代、大名のもとで地方役人として実務に当たった者。
江戸時代、幕府・諸藩の直轄地の行政や治安をつかさどった地方官の称。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「代官」の意味・わかりやすい解説

代官【だいかん】

一般には領主の代理として直接民政に当たる者。江戸時代は勘定奉行に属し,天領の行政徴税を担当した役人をいう。世襲とそうでないものがあり,江戸周辺を除き任地に陣屋をもち,そのなかの役所で任務を処理。幕末で37名。諸藩もこれにならって郡(こおり)奉行や代官を設置。→郡代(ぐんだい)
→関連項目茜部荘伊奈忠次石見検地江川太郎左衛門大井荘勝手方亀山久多荘雀部荘鹿田荘倭文荘信達騒動菅原荘田中丘隅奈良奉行新見荘年貢皆済目録八王子千人同心初倉荘備前検地

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「代官」の意味・わかりやすい解説

代官
だいかん

本来は本官を代理する人の呼称。中世以降は所領を預り年貢収納をつかさどる者を代官と称したが、江戸時代では幕府、諸藩の直轄地の行政、治安を担当した地方官をいう。鎌倉時代から地頭代(じとうだい)(地頭の代官)の一般的呼称となったが、戦国期や豊臣(とよとみ)政権下では蔵入地(くらいりち)(直轄領)の年貢収納や水利土木の管理、軍事物資の調達に重要な役割を果たすようになった。江戸幕府初期には、関東を中心に代官頭(だいかんがしら)(伊奈忠次(いなただつぐ)、大久保長安(おおくぼながやす)、彦坂元正(ひこさかもとまさ)ら)の下に代官がおり、畿内(きない)、近江(おうみ)には豪商代官が存在したが、多くは地方巧者(じかたこうしゃ)が任ぜられ、その数も70名に及んだ。幕藩制社会の確立(寛文(かんぶん)・延宝(えんぽう)~元禄(げんろく)期)過程で、これらの世襲的・年貢請負人的な代官の多くは年貢滞納や不正を理由に失脚し、1725年(享保10)代官所経費支給仕法の改正により、各代官所で民政を担当する貢租徴税官へ改変した。

 幕府代官は勘定奉行(かんじょうぶぎょう)に属し、旗本から任命され5~10万石を支配したが、中期以降には、主として勘定所役人のほか、農民や代官所の属僚からも抜擢(ばってき)された。しかし、その数は40~50名に減少し、検地・検見(けみ)・年貢収納、灌漑(かんがい)・治水、人別や五人組の差配などの地方行政、治安、検察にあたった。全国的に分布した各代官所においては、属僚には十数名の手付(てつき)、手代(てだい)、書役などを江戸と任地に勤務させ事務処理にあたらせ、鉱山には地役人(じやくにん)を置いた。代官の役高は150俵で、ほかに江川(えがわ)(伊豆(いず)の韮山(にらやま))、多羅尾(たらお)(近江の信楽(しがらき))、角倉(すみのくら)(京都)、高木(長崎)など世襲代官もいた。藩の代官はおもに郡代や郡奉行(こおりぶぎょう)のもとに置かれ、村方を支配し、年貢収納や宗門改(しゅうもんあらため)や検地奉行を兼務し、郡単位に民政を担当し、侍代官(さむらいだいかん)や在郷代官とも称し、規模や権限も小さかった。

[村上 直]

『村上直著『天領』(1965・人物往来社)』『村上直著『江戸幕府の代官』(1983・国書刊行会)』『村上直・荒川秀俊編『江戸幕府代官史料』(1975・吉川弘文館)』『村上直編『江戸幕府郡代代官史料集』(1981・近藤出版社)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「代官」の意味・わかりやすい解説

代官
だいかん

本来は主人の代理をする官の総称であるが,中世では広く当局者の代理人を意味した。荘園にあっては預所 (あずかりどころ) や請所 (うけしょ) を荘園領主の代官といい,守護代や地頭代を守護地頭の代官という。安土桃山時代には実際に現地で年貢の収納などにあたる領地支配者が代官と呼ばれ,江戸時代には役目は変らなかったが,幕府は全国に散在するその直轄領の天領を代官に支配させ,1人あたり数万石を経営する代官も少くなかった。代官の下には手付 (てつき) ,手代,書役などがいて,年貢徴収のほかに司法警察の事務を司っていた。支配地には陣屋をおいていたが,江戸の近辺の場合には江戸市中に代官所があった。旗本が代官に任じられ,勘定奉行の支配を受けた。諸藩にも大名家臣の蔵米知行が進むにつれて民政担当の代官がおかれて,年貢徴収を主務とした場合が多い。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「代官」の解説

代官
だいかん

1中世に,代理人・代務者の意味で広く使われた言葉。たとえば源頼朝の命をうけて平家追討にむかった源範頼・同義経は鎌倉殿御代官と称される。一般には守護代・地頭代・預所代・公文(くもん)代・政所代のようによばれた。代官の代官は又代官という。「御成敗式目」14条によれば,地頭代が本所の年貢を抑留した場合,その罪は地頭正員(しょういん)にも及ぶとされた。従者の罪を主人にかけないのが中世法の原則なので,地頭代は正員の従者ではなく分身とみなされたと考えられる。荘園では,荘園領主から荘務を任された者を代官とよんだ。

2近世,幕府や諸藩で農村支配のためにおかれた役人。幕府では,はじめ60人程度の代官がそれぞれ5万~10万石の幕領を管轄して,年貢徴収,法令伝達,戸口把握,訴訟の受理と審理,軽犯罪の処断のほか,場所によっては鉱山・山林の管理をも行った。享保期以降は,勘定所官僚としての性格を強め,数年で任地がかわることが多く,役高150俵程度で旗本の役職としては下位に属した。実務は,手付・手代という下級役人が地方・公事方にわかれて行った。諸藩では,一般的には郡代・郡奉行などの下で,管轄地域の農政を行った。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典 第2版 「代官」の意味・わかりやすい解説

だいかん【代官】

一般には,ある官職に関して,代理としてその職務の遂行にあたる役人などを称した。
【古代,中世】
 平安時代の中期ごろから律令国家の土地国有制が崩壊にむかい,中央貴族の所領である荘園や,在地武士の開発所領が全国各地に現れてくる。これにともない,彼らの所領支配を代行するものとして,〈代官〉が一般的に登場してくる。これは,中央貴族の所有する荘園が全国各地に分散したり,在地武士の開発所領が広大な面積をほこるようになるにつれ,彼らの直接支配が困難になったという事情によるものにほかならない。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「代官」の解説

代官
だいかん

鎌倉時代〜江戸時代,幕府・諸藩の職名
鎌倉時代には主人に代わり事務を処理する者の総称。室町時代は守護代・地頭代などをさした。江戸幕府の代官は幕府直轄地や旗本知行地の徴税・訴訟・民政を執行。5〜10万石くらいの支配地ごとに置かれ,勘定奉行に属し,旗本が任ぜられた。世襲の例も多い。十数名の部下(手付・手代)をもち,任地の陣屋と江戸の屋敷で執務した。藩の代官は郡 (こおり) 奉行の下に属し,藩地を分担支配した。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典内の代官の言及

【江戸幕府】より

…大目付は使番(巡見使や国目付はこの役の者から任命された)とともに,将軍本営の命令を出先の部隊に伝え,かつその実施を監察するのがその本来の機能であり,それが平時の行政上の伝達系統に転用されたのである。 幕府直轄地の支配はそれぞれの奉行や代官が行ったが,近畿地方では所司代を中心とした国奉行が,また一部の大名領を除く関東では関東郡代が公家領や旗本領をも含めた広域的支配を行った。このほかに公家,僧侶,神官,寺社領の人民,職人,えた,非人などに対してそれぞれの身分に応じた別系統の支配が行われた。…

【享保改革】より

…吉宗は実学を好み,朝鮮人参国産化を奨励,21年全国の人口調査を開始,実益ある意見を期待し目安箱を設置,翌年小川笙船の投書により小石川養生所を設け,困窮者・孤独者の治療に当たった。
[行政機構の改革]
 1716年吉宗は鷹狩を復活,18年江戸近郊の鷹場を再編強化,代官配下の鳥見による幕領私領の統一的検察による支配体制補強を図った。1717年大岡忠相を町奉行に登用し22年関東地方(じかた)御用掛を兼任させた。…

【蔵入地】より

…戦国大名領には,大名が家臣である給人(きゆうにん)に与える知行地のほかに,直轄領の蔵入地があり,大名の主要財源となっていた。直轄領には代官をおき,年貢の収納や諸役の徴収をさせていた。個々の大名によって直轄領の規模は異なるが,直轄領を増加させるために他国への侵略を繰り返し,占領地はまず直轄化し,その後に新しい給人に知行地として配分していった。…

【勤方帳】より

…江戸幕府代官所,大名預所ごとに代官の勤務考課のため毎年作成し,将軍・老中・勘定所の検閲を受ける帳面。1733年(享保18)創始。…

【天和の治】より

…綱吉は老中執務の慣例を改め,1680年8月堀田正俊に財政専管を命じ,その下に直轄領統治の協議組織を設け,82年(天和2)には勘定吟味役を創置して勘定方役人の中から実務熟達者を抜擢(ぱつてき)し,勘定奉行を補佐させるとともにその監視に当たらせた。その成果としてとくに顕著なのは,大量の代官が勤務不良の理由で処分されたことであり,その結果中世以来の系譜をもつ土豪的年貢請負人的代官が多数ここで没落し,徴租官僚的代官と交替した。 これらの施策は幕政史上一期を画すると評価しうるものであり,〈享保改革〉の前駆的意義も認められる。…

【天保改革】より

人返し令は江戸出稼人の帰農を奨励し,新たに農村から江戸へ移住することを禁止するなど,農村の労働力を確保することを目的とし,同時に江戸市中の貧民の増大を防ごうとしたものである。 41年には近江の幕領で新開地(しんがいち)の検地を計画したが,農民の反対一揆によって中止となり,このあと幕府は,改革の重点を代官所支配の整備においた。当時は,幕領の代官は江戸在住のまま1,2年で交替するため農政を十分に見ることができなかったので,これを改めて代官に陣屋在住を命じ,10年未満の任地異動を許さないこととした。…

【村】より

…村役人は身分的には本百姓であって,それ自身としてはなんらの武力機構をもたなかった。幕府領の場合,村を直接に統治していたのは代官(身分は旗本)であった(老中―勘定奉行―代官―村となる)。しかし,代官が実際に廻村することはめったになく,代官は村役人と文書を通して村支配を行っていた。…

※「代官」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

インボイス

送り状。船荷証券,海上保険証券などとともに重要な船積み書類の一つで,売買契約の条件を履行したことを売主が買主に証明した書類。取引貨物の明細書ならびに計算書で,手形金額,保険価額算定の基礎となり,輸入貨...

インボイスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android