精選版 日本国語大辞典 「伊勢湾」の意味・読み・例文・類語
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古くから伊勢湾は海運に重要な役割を果し、また海産物の豊かな海として伊勢・志摩の住民と深いかかわりをもち、これらの国は海産物を調として朝廷や伊勢神宮に貢進し、中央に近い海幸の国として重視された。海産物の採取が住民の生活の中心であったと思われ、平城宮出土木簡がこれを物語っている。古く記紀歌謡に「神風の 伊勢の海の 大石にや い這ひ廻る 細螺の(下略)」(神武即位前紀)とあるが、「万葉集」にも次のように詠まれ、のち
また催馬楽「伊勢海」に「いせの海の きよき渚に しほがひに なのりそや摘まむ 貝や拾はむや 玉や拾はむや」と歌われて流布した。「源氏物語」(明石)に「伊勢の海ならねど、清き渚に貝や拾はむなど、声よき人に謡はせて」などとみえる。
伊勢と三河は海路で深く結び付いており、行基が三河国渥美郡に来た時には、伊勢から船で来たという伝説がある(渥美郡史)。古代の津として
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
本州中央部の太平洋岸にある大湾。古くは伊勢海(いせのうみ)ともいった。志摩(しま)、知多(ちた)、渥美(あつみ)の3半島に囲まれ、日本海岸の敦賀(つるが)湾との間が、本州の一番狭くくびれた地域である。東側には三河(みかわ)湾があり、伊勢湾とは知多半島、師崎(もろざき)水道、中山水道によって区分されている。東西の最大幅約30キロメートル、南北約60キロメートル、海域面積約1700平方キロメートル、東京湾の約1.7倍、三河湾の約3倍である。地質時代の第三紀末(約300万年前)には東海湖とよばれる一大淡水湖であった。地質時代最後のビュルム氷期(約2万年前)には、海退によって日本列島がアジア大陸と陸続きになり、伊勢湾も全面的に陸化した。次の亜間氷期(温暖な気候)には、海水面が5メートルも高まり、海進によって濃尾(のうび)平野では大垣、一宮付近、岡崎平野では刈谷(かりや)市付近まで海面が広がり、陸地との境付近には漁労生活の縄文人が住み着き、貝塚群を残した。その前面の海に、各河川の運搬した土砂が堆積(たいせき)し、わずかに隆起したのが環伊勢湾の沖積平野で、現在、濃尾、伊勢、岡崎、豊橋などの諸平野の沖積低地となっている。
気候的には氷期と間氷期の繰り返しと海面の海進、海退現象のなかで現在の陸地と海域がつくられたもので、伊勢湾と環伊勢湾周辺の陸地とは無縁な存在ではない。伊勢湾の平均深度は19.5メートル(三河湾は9.2メートル)、最深部は38メートル、関係河川の流域面積約1万3400平方キロメートル。湾口部の伊良湖水道は潮流が激しく、局所的に100メートルの水深となる。湾奥は、木曽(きそ)川、長良(ながら)川、揖斐(いび)川、庄内(しょうない)川が、伊勢平野の沿岸には鈴鹿(すずか)川、安濃(あのう)川、雲出(くもず)川、宮川などの大小河川が流入し、各河川の運ぶ土砂によって遠浅な海となっている。そこに名古屋、四日市、津などの港湾と、埋立て臨海工業地帯がつくられている。とくに湾奥にある名古屋、四日市両港の占める役割は大きく、伊勢湾海域は国際的に重要な海上輸送ルートとなっている。
[伊藤郷平]
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