三重県南東部の市。2005年11月旧伊勢市と小俣(おばた)町,二見(ふたみ)町および御薗(みその)村が合体して成立した。人口13万0271(2010)。
伊勢市中部の旧市。1906年宇治山田町が市制,55年豊浜,北浜,城田,四郷の4村を編入して改称。人口9万7777(2005)。市域の北部は宮川,五十鈴(いすず)川の沖積平地で両河川の中間に市街地が発達,南部は紀伊山地東端の山々におよぶ。山地の北麓に伊勢神宮が造営され,皇室の信仰と保護を受けた。伊勢参りは平安時代に始まり近世を通じて盛んで,とくに何度か流行したお蔭参りでは広く各地から多くの民衆が殺到した。南東の内宮(皇大神宮)には宇治郷,5km北西の外宮(豊受大神宮)には山田郷の鳥居前町が,その中間の古市には歓楽街がそれぞれ発達した。また神領として自治制がしかれ,江戸時代には山田奉行が置かれた。宮川の河口デルタ上の大湊は中世以来港町として栄え,物資や参宮客が勢田水路によって山田へ運ばれた。かつての参宮街道(伊勢路)に代わって現在は,JR参宮線,近鉄山田線,国道23号線,伊勢自動車道などが北から集まり,志摩方面へは参宮線,近鉄鳥羽線,国道167号線,伊勢志摩スカイライン,伊勢道路(1985年無料開放)などが通じている。伊勢志摩国立公園の玄関口,南勢地方の中心地として第3次産業が主体であるが,大湊には近世以来の伝統をもつ中小造船所が立地する。内宮と外宮の中間にある倉田山公園の神宮農業館,神宮徴古館,神宮文庫には,多数の資料,文化財,古文書類が収蔵されている。
→伊勢神宮 →山田
執筆者:成田 孝三
伊勢市北西端の旧町。旧度会(わたらい)郡所属。人口1万8986(2005)。旧伊勢市に接する。西部に小丘陵があるほかは,大部分が伊勢平野の南東部に当たる沖積低地である。東端を宮川が北流し,土地は全体的に肥沃である。古くからの伊勢神宮領で,南北朝期に斎王の制が廃止されるまで離宮院が置かれた。離宮院(跡は史跡)は斎王の離宮,大神宮司の政庁であり,駅家(《延喜式》の度会駅)でもあった。江戸時代は宮川の下の渡場,参宮街道の宿場として栄えたが,鉄道開通後,一時衰退した。基幹産業は農業で,米作を中心に野菜,タバコの栽培が行われる。特にダイコンの産が多く,伊勢沢庵として出荷される。大正以降,繊維工業を中心とする産業が発達し,現在では大規模な繊維工場も立地する。明野地区に陸上自衛隊航空学校がある。JR参宮線,近鉄山田線が通じる。
伊勢市北東端の旧町。旧度会郡所属。人口9095(2005)。五十鈴川の河口に位置し,北は伊勢湾に面する。古くから伊勢神宮へ塩と贄(にえ)を調進してきた地であり,二見浦(ふたみがうら)の海浜は神宮参詣者の禊(みそぎ)の場であった。一時期,鳥羽の九鬼氏の支配下に置かれたが,1633年(寛永10)神領に復した。中心集落の江(え)は廻船業の盛んな港町であり,また二見興玉(おきたま)神社の鳥居前の町としてにぎわった。町全体が伊勢志摩国立公園に含まれ,日本で最も古い海水浴場の一つとして知られ,訪れる観光客も多い。太江寺の木造千手観音座像,明星寺の木造薬師如来座像はともに重要文化財。二見浦の中央部,荘(しよう)地区の海岸の松林中には伊勢神宮に供進する塩を製する御塩殿(みしおでん)があり,今日も御塩浜の塩田で作られた塩を堅塩に製して神宮に納めている。JR参宮線,国道167号線が通じる。
伊勢市北西部の旧村。旧度会郡所属。人口9115(2005)。宮川河口右岸に位置し,全域が伊勢平野に属する沖積低地で,北・東・南の三方を旧伊勢市に囲まれる。古くは伊勢神宮領の御厨(みくりや)や御薗が置かれた地で,大湊一帯に設置されていた大塩屋御薗には小林(おはやし)など当村域も含まれ,製塩が行われていた。江戸時代は神宮領のほか幕府領もあり,寛永年間(1624-44)には山田奉行の役宅が有滝から小林に移された。肥沃な土壌にめぐまれ,米作や野菜栽培のほか施設園芸や果樹栽培も盛んで,伊勢沢庵の産地として知られていた。旧伊勢市のベッドタウンとして住宅地化が進んでいる。高向(たかぶく)神社で毎年2月に催される御頭神事は国の重要無形民俗文化財。近鉄山田線,国道23号線が通じる。
執筆者:上田 雅子
平安前期の女流歌人。三十六歌仙の一人。伊勢御(いせのご),伊勢の御息所(みやすどころ)ともいう。父藤原継蔭は伊勢守等を歴任した受領であった。伊勢は宇多天皇の中宮温子(関白太政大臣昭宣公藤原基経の三女)に仕えた。伊勢と温子との仲は睦まじかったらしい。若いころに藤原仲平(のちの枇杷左大臣)との恋愛があり,贈答の作が残る。その後,宇多天皇の寵を受け,皇子を生んだ。皇子は早世,中宮温子も907年(延喜7)他界した。そのときの長歌が《古今集》に残る。その後,中務卿敦慶親王の愛をうけ,のちの女流歌人中務(なかつかさ)をもうけた。彼女の晩年についてはよくわからない。作歌は《古今集》に22首,《後撰集》に69首,いずれも女流最多の入集である。家集の《伊勢集》は約500首と大きく,没後まもなく成立していた。これは冒頭部分が歌物語的に構成された特異な家集である。百人一首に〈難波潟みじかき葦の節の間もあはで此世を過ぐしてよとや〉がある。
執筆者:奥村 恒哉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
三重県中東部、伊勢神宮の所在市。1906年(明治39)宇治山田市として市制施行。1941年(昭和16)神社(かみやしろ)町、1943年大湊(おおみなと)町と浜郷(はまごう)、宮本の2村を編入。1955年(昭和30)北浜、豊浜(とよはま)、城田(きだ)、四郷(しごう)の4村を編入したのを機に、古代からの国名をとって伊勢市と改称。さらに同年沼木村を編入した。2005年(平成17)には二見町(ふたみちょう)、小俣町(おばたちょう)、御薗村(みそのむら)を合併した。
垂仁(すいにん)天皇のときに皇大神宮(こうたいじんぐう)(内宮(ないくう))が宇治に、その後雄略(ゆうりゃく)天皇のときに豊受(とようけ)大神宮(外宮(げくう))が山田に奉置されてから、宇治と山田はともに皇室の神宮信仰の中心となった。鎌倉時代に始まり江戸中期に最盛期を迎えた庶民の神宮参詣(さんけい)の風習が普及すると、その鳥居前町としても発展した。
志摩半島の基部にあって、北は伊勢湾に面し、東から南へ朝熊ヶ岳(あさまがたけ)、島路(しまじ)山、神(かみ)岳を含む標高500メートル前後の山地が展開する。市街地は宮川と五十鈴川(いすずがわ)の間の山麓(さんろく)デルタに発達する。気候は温暖で、地形的にも外敵から守りやすく、神宮の鎮座する地にふさわしい自然環境である。JR参宮線、近畿日本鉄道山田線、同鳥羽(とば)線、伊勢自動車道(伊勢西、伊勢インターチェンジ)、国道23号、42号、167号のほか、伊勢志摩スカイラインの観光道路が通ずる。市の全域が近世まで神領で、中世も守護不入の地であった。宇治では年寄(としより)、山田では三方年寄とよぶ自治制度が発達し、明治に度会(わたらい)県が成立するまで続いた。おもな産業は周辺地域を商圏とする商業と観光業で、伊勢志摩国立公園の玄関口にあたるが、宿泊客は志摩方面に向かい、伊勢市に泊まる観光客は少ない。伊勢神宮のほかに、夫婦(めおと)岩で有名な二見浦などの観光地がある。国宝に金剛證寺(こんごうしょうじ)の朝熊山経ヶ峯経塚出土品などがあり、国史跡に神宮祠官(しかん)の学問所「旧豊宮崎(とよみやざき)文庫」(外宮)、「旧林崎文庫」(内宮)がある。面積208.35平方キロメートル、人口12万2765(2020)。
[伊藤達雄]
『『伊勢市史』(1968・伊勢市)』
生没年不詳。平安前期の女流歌人。三十六歌仙の一人。大和守(やまとのかみ)藤原継蔭(つぐかげ)の娘で、宇多(うだ)天皇の后(きさき)温子(おんし)に仕えた。伊勢という名称は父の前任地名をとったものらしい。詳しい閲歴は不明。最初に関係をもった男性はおそらく温子の兄弟である仲平(なかひら)で、この恋はまもなく破局を迎えるが、のち宇多天皇に愛されるようになり、皇子(夭逝(ようせい))を生んだ。「伊勢の御(ご)」「伊勢の御息所(みやすんどころ)」とよばれたりするのはそのためであるが、天皇の愛を受け入れるようになってからも、最後まで温子のもとに仕えていたようである。897年(寛平9)宇多天皇が退位し、907年(延喜7)温子が崩御するが、宇多天皇の第4皇子敦慶(あつよし)親王と深い交渉をもつようになったのは、おそらくそのあとのことで、伊勢は10歳以上年長であった。930年(延長8)に親王が没するまで、2人の関係は続いたらしく、両者の間に生まれたのが歌人中務(なかつかさ)である。『古今和歌集』に22首、『後撰(ごせん)和歌集』に71首、勅撰集あわせて200首近い収録歌が示すように、平安期女流の第一人者であった。家集に『伊勢集』がある。
難波潟(なにはがた)短き芦(あし)のふしの間も逢(あ)はでこの世を過ぐしてよとや
[久保木哲夫]
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(山本登朗)
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…面積=5773.66km2(全国25位)人口(1995)=184万1358人(全国23位)人口密度(1995)=319人/km2(全国20位)市町村(1997.4)=13市47町9村県庁所在地=津市(人口=16万3156人)県花=ハナショウブ 県木=神宮スギ 県鳥=シロチドリ近畿地方の東部にある県。南北に細長く,北東は伊勢湾,南東は熊野灘に臨む。愛知県,岐阜県,滋賀県,京都府,奈良県,和歌山県に隣接する。…
…古くは《在五が物語》《在五中将日記》などの異称もあった。書名の由来も,伊勢(伊勢御(いせのご))の筆作にかかること,〈伊勢〉は〈えせ(似而非)〉に通ずること,巻頭に伊勢斎宮の記事があること,などをそれぞれ根拠に挙げる諸説があったが,なお不明である。作者も上の伊勢の説のほか,在原業平自記説もあり,紀貫之説も近年有力となりつつあるが,これまた特定は困難であろう。…
※「伊勢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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