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婦人運動家,アナーキスト。福岡県糸島郡今宿村の貧しい瓦職人の家に生まれ,親類の援助で東京上野女学校を卒業。親の決めた結婚を拒んで出奔し同校の英語教師辻潤と結婚。また結婚問題を通じて家族制度の矛盾を痛感し,平塚らいてうを中心とする青鞜社に参加,著作活動で〈新しい女〉の一人となった。1915年後期《青鞜》を主宰,アナーキストの大杉栄に近づき弱者の正義に生きようと,16年,夫と子を捨て世間の非難をこえて彼と同棲し,《文明批評》《労働運動》などを共に編集する。また労働運動にも参加,赤瀾会の結成に加わった。関東大震災直後の9月16日おいの少年と大杉とともに憲兵大尉甘粕正彦に虐殺された(甘粕事件)。わずか28歳の生涯で3度結婚し7人の子を産み,多くの評論,翻訳などを残した。《伊藤野枝全集》2巻(1970)がある。
執筆者:井手 文子
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大正期の婦人運動家,評論家
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(小松隆二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
無政府主義者。明治28年1月21日福岡県に生まれる。東京の私立上野高等女学校を卒業後、郷里で親の決めた結婚をするが、9日目に婚家を出て再上京、上野高女時代の教師辻潤(つじじゅん)のもとに身を寄せる。ついで青鞜社(せいとうしゃ)に入社して文筆活動に加わり、1915年(大正4)からは平塚らいてうにかわって『青鞜』の編集にあたった。この間著名なアナキスト、エマ・ゴールドマンに傾倒するようになり、16年『青鞜』を放棄するとともに、辻潤と別れて大杉栄(さかえ)と同棲(どうせい)、無政府主義者として21年赤瀾会(せきらんかい)結成に参加するなどの活動を続けた。23年関東大震災に際し、大杉栄、甥(おい)の橘宗一(たちばなむねかず)とともに憲兵大尉甘粕正彦(あまかすまさひこ)により虐殺された。
[米田佐代子]
1895.1.21~1923.9.16
大正期の婦人運動家・アナーキスト。福岡県出身。東京の上野女学校卒業後,英語教師だった辻潤(つじじゅん)と同棲。1913年(大正2)青鞜(せいとう)社に参加,「青鞜」編集に従事。アナーキスト大杉栄と恋愛関係となり,16年の日蔭茶屋事件ののち同棲,4女1男を生んだ。21年山川菊栄らと赤瀾(せきらん)会を結成したが,関東大震災のとき大杉とともに憲兵大尉甘粕(あまかす)正彦らに虐殺された。「伊藤野枝全集」全2巻。
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…関東大震災後の1923年9月16日に東京憲兵隊麴町分隊長甘粕正彦らが無政府主義者大杉栄らを計画的に殺害した事件。大震災による戒厳令のもとで亀戸事件など軍隊・警察による社会主義者迫害が続いたが,甘粕は東京憲兵隊特高課の森慶次郎曹長と大杉を探索し,この日大杉が妻伊藤野枝と神奈川県鶴見に弟の勇を見舞い,7歳のおい橘宗一をつれて帰宅するところを東京憲兵隊本部に連行し,3人を絞首し,死骸を構内の古井戸に埋めさせた。大杉が行方不明になると,新聞記者らの活動が始まったため,軍部も隠しきれず,20日に甘粕と森を軍法会議に送り,福田雅太郎戒厳司令官の更迭,小泉六一憲兵司令官と小山介蔵東京憲兵隊長の停職を発表した。…
…13年,サンジカリズム研究会を開催し,活動を活発化していく。また,神近市子,伊藤野枝と恋愛関係におちいり,16年神奈川県葉山町の日蔭茶屋で神近に刺される。その後,保子と別れ,野枝と一緒になる。…
…しかしロシア革命の現実に幻滅し,21年ソ連を去り,以後イギリス,フランス,カナダなどに居住し,スペイン内戦に際しては共和派支援に活躍した。なお,ゴールドマンは大逆事件に対する国際的な抗議キャンペーンの先頭に立ち,また伊藤野枝ら日本のアナーキストにも敬愛された。【野村 達朗】。…
…小説,短歌,翻訳などが主だが,社則に〈女流文学の発達を計り他日女流の天才を産む〉ことを目的とすると述べ,また創刊号に女性解放のシンボルともいうべき〈元始女性は太陽であった〉という平塚らいてうの文を載せた。反響は大きく,翌年神近市子,尾竹一枝,伊藤野枝らが参加,発行部数1000を約3倍に増した。女性の自我の覚醒と解放を求めたこれらの人々は〈青鞜派〉と呼ばれるようになった。…
…設立世話人は,堺真柄(さかいまがら),九津見房子,橋浦はる子,秋月静枝の4人。顧問格で山川菊栄と伊藤野枝が加わった。綱領に〈私達は私達の兄弟姉妹を窮乏と無智と隷属とに沈淪せしめたる一切の圧制に対して断乎として宣戦を布告するものであります〉とうたい,活発な街頭活動を展開した。…
…1902年私塾教師のかたわら,自由英学舎で巌本善治,新渡戸稲造らに学ぶ。09年上野女学校英語教師となるが,12年教え子伊藤野枝との恋愛で教職を追われた。16年妻野枝が家出をして大杉栄と同棲すると,比叡山の宿坊に入り,以後,酒を飲み尺八を吹くなどの放浪生活を続けながら翻訳をする。…
※「伊藤野枝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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