精選版 日本国語大辞典 「会津戦争」の意味・読み・例文・類語
あいづ‐せんそう あひづセンサウ【会津戦争】
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1868年(明治1)8月下旬~9月末、会津若松を中心に、会津藩主力の奥羽越(おううえつ)列藩同盟軍と新政府軍が衝突した戦争。戊辰(ぼしん)戦争のなかの一戦争。1868年正月の鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いののち、維新政府は徳川慶喜(よしのぶ)、会津藩主松平容保(かたもり)、桑名藩主松平定敬(さだあき)らを朝敵として追討令を下した。松平容保は京都守護職として反幕府派志士の弾圧にあたった経歴から政府軍の攻撃を受けることは必至とみて、抗戦を決意。会津に帰藩し、庄内(しょうない)藩と同盟して抗戦の準備を進め、5月には奥羽越列藩同盟が結成された。政府軍の東北進攻は5月以降活発となり、戦局はしだいに列藩同盟軍に不利となった。8月から9月にかけて米沢(よねざわ)、仙台が政府軍に降伏、列藩同盟は解体して、抗戦最大の拠点は会津若松となった。8月23日板垣退助が指揮する政府軍は若松城下に進撃、1か月にわたる激戦ののち、会津は落城、容保は降伏した。白虎隊(びゃっこたい)の悲劇はこのときのことである。これによって戊辰戦争はほぼ終了し、東北は新政府の支配下に入った。
[井上 勲]
『原口清著『戊辰戦争』(1963・塙書房)』▽『石井孝著『維新の内乱』(1968・至誠堂)』▽『村上陽一郎編『明治の群像 2 戊辰戦争』(1968・三一書房)』
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戊辰(ぼしん)戦争における東北地方最後の戦。1868年(明治元)5月,新政府による会津藩討伐令に反発して奥羽越列藩同盟を結んだ諸藩は,白河・平潟・越後の3方面から進撃する新政府軍に次々と帰順し,白河口の新政府軍は8月21日に会津軍を母成(ぼなり)峠で破り,23日若松城下に突入した。会津藩は籠城戦に入ったが,9月になると米沢・仙台両藩が降伏,22日には会津藩も降伏した。24日に鶴岡藩が降伏して最終的に同盟側は敗北した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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