デジタル大辞泉 「伝奇」の意味・読み・例文・類語
でん‐き【伝奇】
2 中国で、唐代に起こった、人生の諸相を描いた文語体の短編小説。「枕中記」「鶯鶯伝」など。また、それによった明・清代の戯曲
[類語]奇怪・不思議・妙・奇妙・奇異・怪奇・怪異・不可思議・面妖・奇天烈・摩訶不思議・けったい・変・奇っ怪・奇奇怪怪・怪しい・謎・謎めく・神秘・霊妙・不可解・ミステリアス・異常・異様・
中国で,次の三つの意味に用いられる。
裴鉶(はいけい)の著《伝奇》。もと3巻であったが散逸し,《太平広記》に24編の物語が収録されている。おもな作品は〈崔煒(さいい)〉〈崑崙奴(こんろんど)〉〈聶隠娘(じよういんじよう)〉〈孫恪(そんかく)〉などで,怪奇浪漫的傾向が強く,後世の戯曲小説の好材料となっている。
唐代小説の中でも恋愛豪俠を題材とするやや長編の作品をいう。南宋末の恵康野叟(1210ころ在世)が《識余》巻四に小説を6分類し,その1〈志怪〉に《捜神記》《述異記》《宣室志》《酉陽雑俎(ゆうようざつそ)》,その2〈伝奇〉に〈趙飛燕外伝〉〈楊太真外伝〉〈鶯鶯伝〉〈霍小玉(かくしようぎよく)伝〉などを挙げているのが小説ジャンル分類用語としての始まりで,六朝,唐,宋の長期間に及ぶ漠然としたものであった。のち明の胡応麟の《少室山房筆叢》に引用され,この名称は普遍化した。魯迅の《唐宋伝奇集》(1927),《中国小説史略》(1923)においても主として唐・宋の文言小説の中で上述の傾向を有するもの,〈任氏伝〉〈李娃(りあ)伝〉〈鶯鶯伝〉〈霍小玉伝〉等40編余を指して言っているが確たる規準はない。現代の中国小説史では主として唐代の小説に限定して言うことが多い。唐代小説は六朝小説を継承した。まず仏教,道教の説話集,例えば唐臨(600?-659?)の〈冥報記〉,趙自勤(753-760前後在世)の〈定命録〉,戴孚(733?-789?)の〈広異記〉以下多数の奇怪な物語を採録した小説集は引き続き編まれた。それは唐代のみならず,後世までも長く続く文言小説の一つの系統を示し,ふつう〈志怪小説〉と称せられる。一方,歴史的人物の逸話や事件の断片を集めた説話集は張鷟(ちようさく)の《朝野僉載(ちようやせんさい)》,趙璘(ちようりん)の《因話録》,李肇(りちよう)の《国史補》などが盛唐から中唐にかけて書かれ,さらに晩唐・五代へと続いていく。これらは〈志人小説〉とか,あるいは〈雑録〉〈叢談〉などと称せられる。これらは数十から300余編に及ぶ説話を記録していたが,その中には比較的長編でいわゆる伝奇風の内容をもつ作品もあり,これらの土壌から〈伝奇小説〉が生まれたと言えよう。〈伝奇小説〉の文体はいわゆる古文で,六朝小説以来変化はない。中唐の古文運動ととくに結びつける説(魯迅,劉開栄らの説)はほとんど根拠がない。〈志怪〉や〈雑録〉の文体と〈伝奇〉の文体は本質的に変わりはない。ただはっきり異なるところは素材と主題である。素材について言えば,登場人物は科挙の受験生,中下流の官僚や地方官およびその子女,遊女,僕婢,商人,僧侶,道士など,六朝,初唐期に比べて身分階級が低くなること,また背景としては当時の大都市(長安,洛陽,揚州)や地方の中小都市の繁華な市場や遊女の住いなどが新たにくりひろげられることである。とくに主題の特色は若い科挙受験生と名門の女性や遊女・妾・婢との恋愛を設定するもの(例えば〈柳氏伝〉〈李娃伝〉〈鶯鶯伝〉〈霍小玉伝〉〈無双伝〉〈飛烟伝〉など)が現れ,男女間の愛情を肯定賛美することが多いこと,また好んで人民の清廉さ勇敢さ貞操観の強さなどすぐれた面を賞揚し,道義の高揚を説こうとするもの(〈任氏伝〉〈宋清伝〉〈謝小娥伝〉など)が登場することである。これらは主として中唐の中期から末期(8世紀末~9世紀初)に現れ,それは新興士大夫たちの奔放な恋愛観と人間性への目覚めが基盤になっていると思われる。しかし晩唐に入ると急速に衰え,陳翰の〈異聞集〉や孟棨(もうけい)の〈本事詩〉のような古き良き時代の〈伝奇小説〉を収録したものが現れる。〈伝奇小説〉は元・明・清の戯曲小説の題材となったほか,日本,朝鮮の文学に多くの素材を与えた。
宋代では歌語りの演芸〈諸宮調〉を,また金や元の時代には〈雑劇〉を伝奇と称したことがあるが,現在ではふつう元末期の江南杭州方面において,南宋以来土着していた素朴な演劇〈戯文〉が雑劇の刺激を受けて発達し,長編の戯曲となって展開したものをいう。歌唱担当の俳優は複数化し,筋も複雑化し,一編の長さが50齣(せき)に及ぶものさえ出現した。元末に高明(1310-80)が《琵琶記》を創作してから確立し,明初に朱権の《荆釵記(けいさき)》,施君美の《拝月亭》,明末に王世貞の《鳴鳳記》,湯顕祖の《還魂記》《邯鄲記》《紫釵記》《南柯記》等に至って最高潮に達し,北方にも広まった。
執筆者:内山 知也
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文芸用語としての伝奇は、中国唐代の小説の呼称として用いられたのがその初めである。
唐代の小説も、その前半期のものには、志怪(しかい)とよばれる六朝(りくちょう)小説の筋書きに多少手を加えたようなものが多かったが、安禄山(あんろくざん)の乱を経て中唐の時期に至ると、急速に成長して、六朝志怪と異なる唐独自の小説のタイプを形成した。
伝奇ということばは、普通、唐代小説の総称として用いられるが、その中心は、中唐期の士人の創作である。その作法も初めのうちこそ六朝志怪の筋や枠組みを借りながら、独自の創意工夫によってモチーフを表出してゆくものが多かったが、しだいに六朝志怪の怪異の世界を離れ、現実的な人間の社会に根ざした小説が著されるようになってくる。陳玄祐(ちんげんゆう)の『離魂記(りこんき)』、沈既済(しんきせい)の『枕中記(ちんちゅうき)』『任氏伝(じんしでん)』、白行簡(はくこうかん)の『李娃伝(りあでん)』、陳鴻(ちんこう)の『長恨歌伝(ちょうごんかでん)』、元稹(げんしん)の『鶯鶯伝(おうおうでん)』などはその代表作である。伝奇は宋(そう)代以降にも引き継がれたが、唐の文人的に洗練された作風は廃れて、市民階層の勃興(ぼっこう)とともにしだいに盛んになってきた通俗小説や演劇など、白話体(話しことばのスタイル)で著される文芸作品が、志怪や伝奇のような文言(文語体)小説にとってかわって、文芸の中心と目されるようになる。そうした中国文学界内部の力関係の変化と相まって、通俗小説や戯曲のなかには、唐代伝奇に素材を得てそれを当世風に焼き直す作品が多くみられるようにもなってくる。そのような風潮のなかにあって、伝奇という呼称の使用範囲にも変化が現れ、中国南方におこり明(みん)代に盛んになる戯文(げぶん)とよばれる戯曲の別称ともなった。それに対して、唐代伝奇のような小説を伝奇小説とよんで区別することもある。小説の呼称としての伝奇は、非現実的な幻想的あるいは空想的内容をもつ点は西欧のロマンに似て、それよりも短編である。
日本で伝奇の世界を描いた小説は、近世の読本(よみほん)である。曲亭馬琴(きょくていばきん)の『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』や『南総里見八犬伝』が代表作である。
[高橋 稔]
『前野直彬訳『中国古典文学全集6 六朝・唐・宋小説集』(1959・平凡社)』▽『前野直彬編・訳『六朝・唐・宋小説選』(1968・平凡社)』▽『前野直彬編・訳『唐代伝奇集1・2』(平凡社・東洋文庫)』
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… この流れは,次の唐代になると,人間や人生の多様性や,そこから示唆される屈折した問題意識へと収斂(しゆうれん)してゆき,それぞれの作家が独自の趣向と文体を駆使した作品を作りだした。これらは〈伝奇〉と呼ばれ,中国の小説史に新しいページを拓いたが,その〈奇〉とは異次元の事がらではなくて,現実の世界から発掘された意外な要素,平穏な常識では律しきれぬ事がらをいう。また一方で唐の中ごろから,都市の盛り場で語り物が口演され始めた。…
…ただし,その分け方は明確さを欠き,いくつかの解釈が可能であるが,〈小説〉〈説経〉〈講史書〉の3家は,どの解釈によっても共通する。 小説は一名〈銀字児〉ともいい,市井のさまざまな物語を語る短編の話で,内容によって,さらに煙粉(恋愛物),霊怪,伝奇,公案(裁判物),鉄騎児(軍記物)などに細分される。宋・元代の小説の種本とおぼしい《酔翁談録》には,当時の小説の題目107種が列挙されており,また明代の《清平山堂話本》や《三言》は,宋・元代の小説の話本をもとに改作したものである。…
…後者は貴族たちの逸話を集め,短い記述の中で人物の個性を浮き彫りにする。どちらも歴史の文学から派生したものであったが,やがて前者が虚構の文学の主流となり,次の時代の〈伝奇〉へとつながる。
[四六文と文学理論の発展]
《史記》や《漢書》は純粋の散文で書かれたが,辞賦の発展に伴って対句の技巧はますますひろがり,魏・晋以後,対句だけで組み立てた文体が一般化する。…
※「伝奇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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